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2005年7月19日 (火)

故郷とは

題名にもあるように私は岡山市に生まれ、18年間岡山市の東側で育ちました。新幹線に乗ったのは小学校の京都・奈良への修学旅行、飛行機などは全く縁は無く、岡山市の中心に出て行くようになったのは、県立高校に通いだしてからで、「岡山の中心にあるものは全部岡山で出来たもの」と信じていました。大体、岡山弁なるものが標準語とそれほど違わないと思っていましたから相当な田舎者です。ですが、その田舎を否定的に考えたことが殆どありません。今でこそ岡山を離れてからの方が長く、実家に帰っても客人のような気分ですが、それでも「岡山」という単語を見ると何だか気になります。

故郷というのはどういうものでしょうか。はっきり言って生まれ育った所という以上の意味合いがない故郷に思いを持つのは理由の無いものなのでしょうか。理由が無いからこそ強い思いが出ることもあるのでしょう。例えば贔屓のチームについて考えると、「気付いたらファンだった」というもののファン心理の強さは半端ではないでしょう。それは、何か理由があってファンになれば、その理由が無くなればそのファン心理は弱くなると思いますから。その点で、Jリーグの地域密着というのは、継続的なファンを作るという意味では正しいことだと思います。

それはそれとして、岡山で同窓会をしたとき、地元に残っている同窓生の多いこと多いこと。恐らく地方都市では当たり前のことだとは思いますが、そのことにどこかでうらやましさを感じる自分と、そうなったら恐らく少し物足りなくなるだろう自分がいます。

私の親父は私にとても期待をしていて、今でも海外に住んだり、英語で話したりする我が子を非常に誇らしく思っているようです。それは、どうも色々と苦労を重ねて(はっきりと聞いていませんが)思い叶わなかった自分の少年時代を思ってのことかもしれません。その親父や、ある意味その親父をうまく助けているお袋などがいるところがそのまま生まれ故郷だというのは、非常に恵まれているのでしょう。

県財政としての岡山は酷いもんですが、住むところとしての岡山は本当に良い所です。そりゃこの前行った沖縄のような強い個性は無いでしょうが、少なくとも私が育った岡山市は、そこに生まれ住み続ける人が多いということが、何より良い所の証明では、と思います。そして、正直グローバルだとかとは無縁に、でもその地方都市で一生懸命生活している親父や私の同級生は本当にすごい、と思います。

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