毅然と行きたい(「縛られた巨人」)
先日、南方熊楠という学者の評伝を読みました(神坂次郎著・「縛られた巨人」)。
今、人のことを羨まがらせる風潮が強くないですか?社会の二極化ということで語られることの表れかもしれませんが、やれ金持ちの生活がどうの、セレブになる云々、頭の良くなる何とか、などなど。
あくまで本の内容が事実という前提に立てば、南方熊楠の生活には人を羨むという要素は無かったんでしょう。あくまで基準は自分。自分の欲求、好奇心をそのまま行動に移していった稀有な存在だった。但し金銭的には恵まれなかったようですが、それを犠牲にしてということ自体が頭の中に無かった人のように思います。これは以前も触れたゲバラにも通じることだと思います。
私なんぞは俗世の凡人ですから、やはりいい生活・恵まれた金銭環境には羨望を覚えますし、高い才能には嫉妬をします。それでも、最後にはそういったことを出来る限り排除して、自分の与えられた才能・環境の中で最大限努力していく、それは毅然としたことだと思っています。
笑っちゃったのは、「頭の良くなる料理レシピ」とか何とかという本があったこと。料理なんかを何かの目的にしなきゃならん貧困さ・さもしさというのは目を覆いたくなります。そんなことより、例えば料理であれば、子供とわいわい作って、失敗して、それでもそれが楽しいとか、「いつも妻・母さんはこんなにしてくれている」ということを理解する方がよっぽど教育には良いんじゃないでしょうか。大体、この「頭がよくなる」何とかというブームも、本来の知的欲求を満たすというより、より入力を増やして優越感を得るためにどうすればよいかということが力点のような気がします。それは「浅ましい」ことだと思います。
それにしてもこれほど世の中に「金」のことを蔓延させている現状というのはどういうことなんでしょうか。私が子供のころは、「お金の話なんか人前でするんじゃない」と親に言われて育ちました。それが、「子供の頃からお金のもうけ方を教えましょう」的な本が蔓延し、「この人の一ヶ月の小遣いがいくら」的な報道がなされ、持て囃される(ように見える)。正直、かなり下品な光景でしょう。
人との比較ではなく、自分がどうするか。それは学力の絶対評価を是認するような小さなことではなく、ある意味非常に厳しい自己の再見直しを迫られることになるはずです。
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