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2005年10月16日 (日)

楽器演奏と音楽

今日は寝違えて背中が痛いままバンドの練習でした。

今日は新しくメンバーになるかもしれないKeyの人が参加、リーダーのBの人が、「Keyが入ったほうがコピーする曲の選択が広がる」ということで探してくれていました。事前にKeyをどの曲に入れるかを聞いていたので、その他の曲の練習をサボったら見事にヘロヘロでした。練習は嘘をつきません。

とはいえ、

元々練習という練習はCDに合わせて一日一時間もやれば良いほうで、その時もバッキングは真面目に誤魔化すものの、ソロは決してコピーしない(いや、決して出来ない)ので、そんなに巧くなるはずも無く。ただ、ソロは最初バーっとアドリブで何種類か弾いてから自分なりにそれを元に組み立てる、というのが多いですかね。「Wishing Well」なんかは、ギターソロでもそれなりに情景を作ることは出来そうですが、本当のインプロバイザーになることは出来ないんだろうなあ。大体皆さんこんなもんですよね(誰だ、皆さんって)。

ここで考えたことがあります。

昔ZZ Topのビリーギボンスが、「とにかく早く弾きたい、巧く弾きたい」ということを言っていましたが、水準を別にすればすごくよく分かります。無限の表現力が欲しい、欲しい音を出す技術が欲しい、というのは、あくまで楽器を弾くという立場であれば常に思うことだと思います。

問題はそこから先、音楽を奏でるということにそれをどう結びつけるかという所です。どんなに難しい言葉を知っていても、John Lennonの「Imagine」のような歌詞は書けません。どんなに卓越した技術を持っていても、入魂のチョーキング一発には勝てないことがあります。じゃあ何も無くても良いか、と言われれば、バッハの曲を演奏するとき、それがへたっぴーじゃ話にならないわけです。

このあたりの感覚は音楽を生業にしている人はどうお考えか聞いてみたいですね。

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