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2005年10月 8日 (土)

学歴と教育

最近、「超・学歴社会」という本を読みました。二児の父親としては色々と考えさせられることが多い内容でした。

ソニーの故盛田元会長が学歴不要論に関する本を著して既に20年近くが経過していますが、今だ学歴偏重はなくならないばかりか強まっているようです。

何故か。

結局は実体として高学歴の人に有利に働く社会が出来ているということを、我々庶民が実感しているということでしょう。「もう高学歴から一流企業への成功図式は崩れた」などと言っている評論家もいらっしゃいますが、二重の意味で欺瞞ですね。一つは、「崩れた」というのが全てではなくある一部の現象のみを捉えていること、具体的には、「高学歴の連中が入る一流企業でも、成功できないことがある」「一流企業に入った高学歴の連中でも出世しないことがある」という部分を針小棒大に言っているということですね。これ自体は至極当たり前のことではないでしょうか。

もう一つは、大体にして学歴社会を否定している連中がしっかり学歴社会の美味しいところをかっさらった人生を送っていること。例えば私の親・親戚は殆どが中学・高校卒なんですが、どれほどそのことで苦労したかを延々と言うわけです。そんな声や現実に対して、「いや、この人が成功している」と言った所で、「そりゃあんたは成功した例だけ持ってくりゃ良いが、この現実はどうしてくれる?じゃああんたは学歴隠して再就職した方が成功した、とでも言いたいんかい?」という事には全くの無力なわけです。文部省でゆとり教育を言い出した寺脇某など、どこぞの進学私立から東大ですから、説得力ないわけですよ。かといってそういう人が言わないとシステムとしての公教育は変わらないから難しいのも認めますが。

結局物事は確率の問題で、成功する確率の高い道に流れるのは当たり前の行動なわけです。金と言う尺度でみれば、明らかに高卒と大卒での生涯賃金は違うという調査結果がありました。アメリカに至ってはその賃金差は日本より大きい訳で、「アメリカでは学歴は関係ない」などと言っていた輩は本当に頭を丸めてください(もうそんなことを信じている人も少ないでしょうが)。

で、ここからですが、この状況が現実としてある中で、どうすれば良いかと言えば、やはり公教育の充実というのは外せないと思います。子供に関してはとにかく親の差(能力・財力など)を反映しないようにすることが重要で、そうすれば現在ある将来不安という部分もかなり解消されるんじゃないでしょうか。少なくとも私が住んでいる神奈川県では、なかなか公立に進めさせるというのを躊躇する話が多いと感じています。対して、私が生まれ育った岡山は何しろ教育県ということが一番の自慢であるぐらい公立の強い所です(でした、という過去形かもしれませんが)。本当は公教育にこのような地域格差があるのはおかしな話です。だからこそ単身赴任などが一般化してしまうということですね(公立高校の転入はそりゃ難しいもんです)。

現在40歳前後の親というのは、実は戦後一番授業時間が長い義務教育を過ごした世代なんだそうです。そこから見れば一番短縮された現在の公立授業に不安を覚えるのは当たり前かもしれません。それでも今の子供たちの数十倍は遊んでいたとは思います。

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