低調な日々と嬉しい一言
最近仕事が低調です。日差しの暖かさに反比例して心はどんどんオホーツク海です。まあ色々と理由はありますが、そういうことありますよね?じゃあどうするかなんですが、いくつかありまして、
①仕事は最小限にして、ぼけーっと考え事をする ②色々な人と会って下らない話をする ③ちょっと違ったことをする
という他の方もやってそうなことです。で、①なんかは受験生時代からよくやっていたことですが、焦りが感じられるまで何もしない、しない、しないったらしない。悩んで良いことがあるんなら悩みますが、どうせ悩んだって大したことはありませんな。だったら悩むくらいまで何にもしないのも一つの手かな、と。 ②は、まあ気分転換ですねえ。高校時代の友人に会ったり、以前同じ会社にいて転職した人とか。別に仕事の悩みなんぞは話しません(流れで出るが、解など求めません)し、うだうだした会話でちょっと気分を洗ってみるという感じでしょうか? ③は、旅行だったりギターで違う曲を練習したり。クラシックギターにちょっと重点を置いたりすることはあります。ただバッハなんかをやった日には落ち込むこと確実ですね。本当はビバルディみたいな脳天気な曲がいいんしょうがギター曲はなし。あとの気分転換としては急に一人で食事に行くとか。
ちょっと話は変わりますが、相談を芸能人にする人ってどういう心理なんでしょうか?こればっかりは私の理解を超えています。「夫と離婚したいけどどうしたら良いんでしょう?」ってな相談を離婚二回位している連中に相談してどうすんの、っての。
で、こんな話をしている時に、会社の後輩から、
「○○さん(私のこと)、つかみ所が無いんだよなあ」
というお褒めの言葉が。いや、これ私にとっては嬉しい言葉です。以前植島啓司という人の「快楽は悪か」という本を読んでいて、「大体『これ一筋』なんて生き方は詰まらない。色々な面を持った人間の方が面白い」ということが書いてあってわが意を得たり、という気分になりましたが、私は多面体でありたいと思っています。別に一筋の人をけなすことではなく、どうせそれほど一流になれないのであれば、色々とやったほうが面白い、という単純な理由です。言いたいのは、一途だろうが雑食だろうが、楽しく人生送ったほうがいいですよ、って事ですね。あと、仕事は死ぬ気でやっちゃいけません。何故なら、仕事は「生きるため」にやってるから。そこの本末転倒は良くないでしょう。
=追= ただ、この植島啓司という人を検索すると、実はキイの「メディアセックス」というトンデモ本の翻訳者だということがわかり、ちょっとビックリ。オウムのサブリミナル問題が出る前にサブリミナルを取り上げた本で、私も大学時代読みましたが、さすがに「ビーフイーターのボトル写真の一部が首を切っているように見えるから死を暗示させる」ってそれは見えないぞ。ましてや、売上を伸ばすために死を暗示するものを忍ばせるってどういうことかね?とにかくどの広告でも「殺しているように見える」「男女が交わっているように見える」というこじ付けがかなり酷い本で、それを楽しむのには良いかも知れません。
| 固定リンク
この記事へのコメントは終了しました。
コメント