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2007年3月20日 (火)

黒武洋「そして粛清の扉を」

最近、池内ひろ美さんのネット炎上についていくつかの記事を見ました。これを見て、全然関係ないはずですが、黒武洋の「そして粛清の扉を」を思い出しました。

そして粛清の扉を

正月の毎日新聞に、「ネット君臨」という記事があり、ある人がブログに攻撃され炎上、さらに電凸(電話で直接攻撃をすること)を受けた、という説明でした。ところがその後、その人がくだんのブログで実は問題行動をしていたことをばらしており、それが原因となって炎上したのだ、という解説が出ていました。

で、一瞬私も「そりゃ炎上もしょうがないかな?」と思ったのですが、よくよく考えるとやはりおかしい。なぜなら、その問題行動が本当であるのか判らない、もし本当だとして、ネット住人がそれを元にその作者を追い詰めることは許されるのか?ということを考えると、やはりそれはおかしいよな、というのが私の結論なんです。

何故この小説を思い出したのか?それは、どこかでネット炎上と共通するカタルシスをこの小説に感じるからです。ネタばれになるので詳細は避けますが、ある悪事に対して誰が裁くのか、ということに対しての感情移入に対して、相当な恐れを感じたことがあります。要は、「ネットを炎上させる人たち(この小説で言えば復讐を行なう教師)とどこかで感情が一つになるんじゃないか?」という恐れと、どこかこの復讐にすっきりしている感覚と、そこに漬かり込まないようにしたいという私自身の抵抗がない交ぜになっているのが読後感であり、そういう意味では非常に後味のすっきりしない小説ですねえ。

それにしても、もう少し冷静な議論というのは出来ないのでしょうか?AじゃなきゃB、そうじゃなきゃどうよ?という議論はディベートに近いもので、本質から離れるんじゃないか、と思います。議論は喧嘩ではないし、喧嘩になった瞬間に議論ではない。やはりそこにどうしても匿名性という逃げ場があるように感じます。

この辺はもう少し整理して。

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