被災者を勇気付けるものは?
この日曜の能登半島地震、横浜でも少しですが揺れました。で、テレビに直ぐ地震のテロップが流れて、「えー、震度6!?」とビックリした次第です。被災者の方は大変だと思いますが、頑張ってください、としか言えない自分が悲しいです。あと、こういうときに色んな事をやらかすアホどもがいますが、くれぐれも自分の不用品を被災地に送らないように。使った下着を送るバカもいるらしいです。
ちょっと不謹慎かも知れませんが、こういう地震の時、いつもある話を思い出します。それは、阪神大震災でボランティアに行ったギタリストの石田長生の言葉でして、詳細は別にしてこんな話でした。
「自分が被災地に行って、ギタリストとして何かやろうとした時、ロックだ何だが如何に意味が無いかが分かった。ああいうときには、例えば『青い山脈』だったり童謡だったりの歌が一番みんなに元気を与えるんだよ。ああいうところでは、ロックなんてへの突っ張りにもならないよ」
うーん、といつも考え込んでしまいます。例えば、自分がどんな形であれ、被災地のような形で避難所暮らしをしている時、確かに「ロックじゃねえよな」と思うと思うんですよ。ですが、じゃあ何か違う形で自分を和ませる、勇気付ける音楽ってあるのか?と考えると、やはり「うーん」となってしまいます。
多分、本当に生活と密着した歌、というものを我々は持っていないのかも知れないですね。以前、沖縄の人がうらやましい、と思ったことがあります。彼らは選挙でも何でも直ぐにめでたいと踊れるんですよね。で、結構若い連中も踊れちゃうわけで、そこに本当に引き継がれているものを感じてしまうんですよ。うまい下手と全く離れた自然さ、というか。
自分ひとりでない困難な状況になった時、みんなの頭に浮かび、口から出る曲というのは何なんでしょうか?世代を超えた歌、というのが今世界のどこかにあるんでしょうか?
あれば、少しは楽しく慰められる世の中になるのかも知れません。
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コメント
こんばんは。
いつもながら、深いですねえ。最近、世代を超えたヒット曲がここ日本では出ない、って何かで読んだ気がします。私の職場の若い社員は全員「大塚愛」って知ってましたが、私、知りませんでした(汗)。反対に私の知ってる曲は彼ら彼女らはひとつも知らない。
強いて言えば、義務教育の頃に習った音楽なのかなあ…。そう言われてみると、文化的には貧相な国になってしまってるんですかねえ。あっ、でも、ここ、大阪に限って言えば、「六甲おろし」はたぶん99%ぐらいの人が歌えますよ。全然阪神タイガースのファンではない私でも1番は何となく知ってますから。
投稿: しまうま | 2007年3月29日 (木) 00時51分
しまうまさん、
関西地方では「阪神」というのはかなり共通項として話せる内容かも知れませんね。私が持っている日刊スポーツの昭和60年阪神タイガース優勝記念ブック(当時大阪に住んでいたもんで)の前書きで、
「親父に従いトラキチになった...でも優勝せんかった...結婚して子供が出来た...でも優勝せんかった...ならんでもええのに子供までトラキチになった...でも優勝せんかった..」
という正に大阪昔話のようなことが書かれていました。
話を戻すと、やはり今は歌・音楽が消費財として扱われているんでしょうね。ブックオフに行くと、如何に消費だけされたCDが多いかが良く分かります。クラシックの世界でさえ、見た目が重要だというのをある演奏者から直接聞きました。
何か淋しい話ですねえ。
投稿: ドイツ特派員 | 2007年3月31日 (土) 17時18分
まあ、阪神タイガースは関西地方における重要無形文化財みたいなもんですから。
最近は音楽は「データ」に過ぎないですからねえ。私が学生の頃はロック喫茶やジャズ喫茶の壁に名作のLPジャケットが絵みたいに飾ってあって、大音響で好きなバンドの曲を聴くためにわざわざ足運びましたけど、今はそういう聴き方できる音楽は少数派なんでしょうねえ。
まあ、こと消費ということになると、私、学生時代に好きだったZEPやWHOは今でも聴きますし、社会人になってから買った10-20年前後前のギターインストものも現役で車のMDに入っております。とっくに減価償却終わってますな。全然消費できない…。
どんどんCDたまるんで、ど〜しようもない迷作はたまに「捨てるか?」と思いますが…。ブックオフじゃあ売れないだろうなあ…。ジャンルがマニアックなんで。
投稿: しまうま | 2007年3月31日 (土) 22時29分