映画の中に そを聞きに行く(バッテリー)
先日のシンガポールからの帰り、珍しく映画の「バッテリー」を見ました、というか聞きました。
原作者のあさのあつこさんは、岡山出身で岡山在住。この「バッテリー」の舞台も岡山県北だそうで、エンドロールでも建部や美作の学校への謝辞が出ます。
実は、特に真面目に筋を追っていなくて、ただただ子供たちの話す岡山訛りを聞いていました。元々いた人間からすると、やはりぎこちない岡山弁。それでも、多分今の私よりずっと流暢な岡山弁。
子供の頃からその言葉しかなくて、これが標準語だと思っていた言葉。敬語では使えない岡山弁(だって目上の人と話したことがない)。東京で同郷と会ってもすぐには使えない岡山弁。
子供の頃にバカみたいに遊んでいて、大笑いしたり叫んだり喧嘩したりしていた言葉。この「バッテリー」の情景は、そのまま私の原風景です。冬の田んぼで野球して、川に落ちたボールをどう回収するか。好きな子にどうやって帰宅の時近づくか。仲たがいした友達とどうよりを戻すか。そんなことは全て岡山弁で考えていた気がします。どこかに岡山を引きずり続けて生活している私です。
宮沢賢治の気持ちというのが、分かった気がします。
| 固定リンク
この記事へのコメントは終了しました。
コメント
こんばんわ~。
この映画確か全編岡山ロケ(あ、セットは除く)らしいですね。SINSEIは観てませんが、たぶん子供がいたら一緒に観に行っただろうなぁ~。
実は先月(6月)歯医者の待合でぱらぱらと週間文春を読んでいた時に、週変わりで書き手が変わる「街」をテーマにしたコラムみたいなのがあって、ちょうどSINSEIが読んでいた号の担当があさのあつこさんでした。「街」といってもあさのさんの場合「美作」ですからちょっと変わった感じの内容で(細かくは覚えていませんが)なんだか素敵な文章でした。ちょっと小説を読んでみたくなりました。(いつもながらいつになるかは分かりませんが、、、``r(^^;)
まぁそうやってみてみると岡山(出身)の作家さんは結構素敵な人たちが多いですね。重松清さん、あさのあつこさん、小川洋子さんは未読ですけれど先日テレビで放送された映画「博士の愛した数式」は観ました。
あ!そうそう、思い出した。読売新聞で連載されていた奴、、、ミーナ?だったかな?一日分だけ読みました。たまたまちょうど「ミュンヘン五輪のパレスチナゲリラによるイスラエル人選手虐殺事件」のシーンだったものでついつい目が留まってしまって。でもそれが岡山出身の小川洋子さんの連載と知ったのはもっと後でした。
あれ?だれか忘れていないか?イ・ワ・イ・シ・マ・・・・・・コ?
投稿: SINSEI | 2007年7月31日 (火) 22時24分
Sinseiさん、へろへろになっている私です。
以前、Sinseiさんに重松清とあさのあつこの対談を教えてもらいましたが、確か重松清は両親の実家が岡山県北だったはずで、自身も中国地方を転々とした方と記憶しています。「なぎさの媚薬2」にある、造り酒屋のあるK市というのは、あえてイニシャルを変えていますが津山では、と思っています。
岡山出身の作家では、あと内田百間・坪田譲治というのが有名どころですが、内田百間はあれだけ紀行ものの随筆を書いているのに、岡山のことは意識的に避けていたようです。
重松清は先日二冊ほど読みましたが、また気が向けば感想でも。それにしても痛し痒しな岩井志麻子と水道橋博士ですなあ、岡山出身。
投稿: ドイツ特派員 | 2007年8月 5日 (日) 20時33分