更に淋しく、大学の消滅
この秋の夜長の始まり、落ち込んだ心にふと入ってきた母校消滅の報道。
別に大学校舎や学部が無くなる訳ではないんですが、要は統合で大きな大学に吸収されてしまったんですね。まあ学部の構成自体は、私が在学した20年前から既に大幅に変わっていましたが....。消滅は去年から決まっていたことなんですがね。
勉強は殆どしなかった。正確に言えば、したんだけど一年間全く付いていけず、「こりゃダメだ」と放り投げてしまった。学校には200円くらいしか持たず行って、一番安い定食(田舎セットっていうんです)を150円で食べ、あとは部室で練習及びグダグダ。山に囲まれていて、何にもない大学で、学生の半分以上が女性で、変わり者が多くて結構面白くて。最後、一般教養を四年まで残していて、しかも前期試験を受け忘れて、教授に泣き付いてなんとか通してもらったり。パソコンもなく、まだワープロ以前のタイプライターで卒論を打ち、試問でボロカス言われたり。
で、なあんもその後は感慨がなかったはずなのに。
そのまま存続するはずなのに何となく淋しいのは、やはりある気持ちが卒業した学校にあるからなんでしょう。名前の上では、吸収した大学の方が上に認識されているんですが、それでも、自分がもう無い出身大学名を言う度に、「ほら、ちょっと変でしょ?」というおかしな優越感を持っていることに最近気付きました。
という個人の感情を横に、世の中の人たちは昔の名前を忘れていくんでしょう。それも歴史、ということですね。
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コメント
こんにちは
私もご多分にもれず不安感・不信感でいっぱいの毎日を過ごしています。
母校がなくなってしまったんですね、何だかとても哀しい響きですね・・・私は先日、夜、私の母校とやらに車で行って来ました。ぼんやりと車を流していたら勝手にそちらの方向に行ってしまいました。大人になるのも大変ですね・・・もう、あと20年位したら悟りでも開く事が出来るのでしょうか???
投稿: 240@s | 2007年10月16日 (火) 19時31分
240@sさん、
みんな悩みや不安や不信を持ちつつ、それでも日常は過ぎて行くんですね。私、会社の同僚から、「あなたはとにかく強い。色んな意味で強いよ」と言われ、褒め言葉だと分かっていつつ、「そんなことはねえよ。どんだけ凹んでるか」という思いで仕事しています。そんなことも含め、どうしても大人になりきれない昨今。
母校は名前がなくなるだけで実体はそのままなんですよ。それでも一抹の淋しさを感じる今日この頃です。
投稿: ドイツ特派員 | 2007年10月17日 (水) 23時50分