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2007年11月17日 (土)

「小さき者へ」(重松清)

やはり単身赴任では、中々更新できませんねえ。とはいえ、別に会社にべたっと居たわけじゃなく、九州出張を久々に敢行。やっぱり九州は食事が美味いから良いですねえ。

で、飛行機乗っていつもの如く直ぐに寝て、福岡空港に着いた時は寝ぼけまなこ。前のかごに入れていた本を忘れてしまい、少し耳鳴りがするのでGigabeatも持ってきておらず、「あちゃあ、移動の時どうするかいな?」と思って買ったのがこの本。

小さき者へ (新潮文庫)

「小さき者へ」

大体こういう移動のときは軽めの小説がいいので、重松清は(変な言い方ですが)重宝します。が、今回の小説の身につまされ方は重かったです。

内容は短編が六編。どれも父親と子供の上手く行かない関係を書いています。私は言いたい、重松氏に。

あんた、俺の家族見たんか?

ていうかね、岡山弁で書かれたら、まるで私のことに感じるじゃないですか。あと、多分重松氏が私とほぼ同じ年というのもあるんですが、時代背景が鏡写しなんですよ。背伸びして聞いたリアルタイムじゃないビートルズ、その中で「リボルバー」を持ってくる「小さき者へ」なんて、分かった人じゃないと書けないですって。

アマゾンの書評では、「団旗はためく下に」に人気があるみたいで、それは良く分かる。でも私は、「青あざのトナカイ」に一番心惹かれました。この中にあった一節、

だが、「負け」と「終わり」とは、違う。違っていて欲しい―と思う。

というところに、(この本の主題とは離れているけれど)ほんの少しの光を見た気がしました。

「小さき者へ」は、身につまされながら読みました。中学生位の男子というのは、特に父親とは対立するもので、今の我が家もまさにその状態。分かってるんですよ、父親に露悪的な態度を取る事、一々言われる事にイライラすること。「うぜえ」という言葉、自分が中学生の時の親父への気持ちそのまんま。多分これは、動物としての本能じゃないかと思うんですね。で、出て行く息子と出て行ってもらいたい親父。そこで自立が始まる、と。

ですが、分かっていても、親としての伝わらない苛立ちがあり、どうしようもない淋しさがあり、理解されない怒りがある。多分妻には違った淋しさや憔悴があると思うし、それも分かっているけど自分の苛立ちが先に来てしまう情けなさ。また、「将来ぐれるんじゃないか?」「人に迷惑を掛けるんじゃないか?」「引き篭もってしまうんじゃないか?」という不安。

という思いを抱えたある日、一回り年上の会社の上司に、「息子さんってどうでした?」って聞いてみると、「いやね、本当に中学のころは殴りつけたり、高校では口もきかなかったりで大変だったよ。でもね、一人暮らししてそれなりに生活っていうものが分かったら変わったね。まあ色んな意味でかなりしんどかったけどね」ということで、結局は大差ないというですなあ。

それでもな、自分の部屋のグラウンドゼロ状態、何とかしろや!我が息子。

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