「仕事のなかの曖昧な不安」(玄田有史)
という弾丸ツアーをやっている中、中々印象的な本だと思いました。
この玄田有史という人、「働く過剰」などのニート、フリーターなどの研究を行なっている学者で、この本でも、「フリーターやニートはなりたくてなっているわけじゃない。中高年が職を奪っているところが大きい」ということを説明しています。
この本の内容については賛否あるでしょう。当然ある意見が出ればそれに対抗する意見が出る。中高年の職務機会の略奪についても、実は中高年というくくりの間でも戦いがあり、大きな世代闘争の間に重層的に小さな世代闘争がある、というのが私の普段感じていること。
が、その是非よりもこの本で何が気に入ったか?それは本論よりも、最後に都立高校で話そうと思った内容を書き、それに対し実際に話したこと・話せなかったことを書いているところでの本音、弱さの部分なんです。彼が、そんなに進学率が高くない、寧ろ非常に低い都立高校生から、「大学教授っていくら貰ってるんですか?多分高校の先生より高いと思うけど、高校の先生の方が大変だ」と言われ、彼が正直に給与を答えられなかったくだりは好きですね。彼は、答えられなかったことで、「何故自信を持って自分の給料がいえなかったのか?」と自問し、エピローグでその金額を開示、「そういう質問にも、本当に若い世代を応援するのであれば、ちゃんと答える必要があるんだ」としています。
また、「高校生と少し話したからといって、彼らのことを理解したなどと言いたくない」「ニートだフリーターだと括っても個人にはそれぞれに事情が違う」というところは、データを元にしながらも、ほっとするところですね。
彼が言っていたもう一つのこと、それは「Weak Ties」(弱い繋がり)を重要視していること。これは普段から一緒に仕事したり生活したりしている繋がりとは別に、たまに、しかし色々と示唆してくれる人物との関係を重要視しなさい、ということで、もしかすると「メンター」といわれる存在に近いのかも知れません。
これ、自分がブログを始めたことの動機に近いな、と思っています。全然違う、でも何か繋がりのある人たちと繋がりたい、意見を聞きたい、という欲求。それは自分の立ち位置をもう一度確認して、仕事だけではない自分を確認する作業かもしれません。
学者という厳しさより、それこそメンターとしてのやさしさが強い本と思います。
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