努力と結果
何でも山田太一が出した文章が話題になっているそうです。
この記事の場合、一つは「日経ビジネスアソシエ」に出た、ということが肝ですね。何しろこの雑誌、もうイケイケビジネスパーソン向けの雑誌で、まさに彼が言っている「成功者」のコメントだらけなわけです。そこに、このような発言が出るのはある意味面白いし、他の執筆者の同意や反論は期待したいですな。と言いながら、まだ読んでいないんだよな、全部は。立ち読みか?
で、内容はまあ当たり前なんでしょうねえ。成功の度合いを何で測るかにもよりますが、例えばスポーツなんかでも、成功と努力は比例しないでしょうね。とてつもない努力をして体を壊すとか。勉強でも、元の才能というのはあるんですなあ、正直言って。
ここで「可能性のよき断念」という言葉を使っていますが、これは以前私が重松清の小説で見つけた、
負けと終わりは同じではない
ということじゃないかな?今のビジネスは、やれ成果主義だ、勝ち組だ、抜擢だとかますびしく、そこから外れた奴(俺か?)はもう駄目だ、という空気ですよね。もうそこでは生きていけないくらいの雰囲気があって。でも、そこで負けても終わりじゃない。終わらせるわけには行かないし、逆に皆最後は終わりが来る訳です。
今、テレビで柏レイソルのフランサが写っていました。フランサは、ブンデスリーガやプレミアからも誘いが来たJ2の時、「私はこのチームで何も為していない」と言ってこの極東チームに残った。彼は勝ちを選んだのか負けを選んだのか?人によっては、「キャリアを台無しにして」と言うだろうし、「それが漢だよな」と言う人もいる。
結局は、「自分基準」が作れるかどうか?なんでしょう。自分がある人は「負けを終わりにしない」人だろうと思います。
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