未来は見えるか、明るいか
八戸市議の藤川ユリちゃんが福祉をやっていない?ばかやろう、あの写真集自体が福祉だろうがあああああ!
……
おひさでございます。酒が呑めないのに毎日飲み会が入っているというわけ分からない状態でここのところ過ごしています。特に金曜はこの二ヶ月ほど、タモリ倶楽部を見られる時間に帰宅していません.....。
で、先日はあるセミナーの一年コースでの最終日でした。まあぬるいものなので、特に負担も無い中で、色んな人と本音で話せたのは良かったし、多分この関係はこれからも続きそうです。
その中での話、またある若い連中との飲み会(会社とは別で)に参加していて、自分も含め痛切に感じるのが、
将来は悪くなる、と感じるよね
ということ。例えば5年後に何かが悪くなる、と感じることは多くても何かが良くなる、と感じられることは少ない。自分自身のことを考えても、給料は減る、子供に金は掛かる、親は老いるということばかりが出てくる。で、若い連中に話を聞くと、結婚はできない、仕事はきつくなる割りに給料は上がらない、そもそも友人ができない...とやはり暗ああい事が出てくるんですね。本来は「良い将来」「悪い将来」の定義から入るべきでしょうがね。
じゃあどうすれば良いんだろう?
結局非常に当たり前のところになるんですが、「人との関係」というのが大きいのではないか、ということを考えるわけです。これはプチ自慢ですが、この一年から二年、ブログを通じたりその他の機会も含め、今までなら絶対知り合えない人たちとの関係が凄く増えたんですね。何と言うか、「この関係は結構年を重ねても続くよな」という関係。それはかなり気分の安定剤になるんじゃないかな?と思うわけです。
元々社会人になれば、仕事での関係が大半を占めるようになります。その仕事ではやれ前向きにだの、自己実現だのと「そんなに完璧じゃないと仕事しちゃ駄目なの?」といわんばかりの意見が多い。その不完全さというのは人で補えるんじゃないか。確かに仕事の話は出るんですが、それだけではない価値観を補うことができるんじゃないか。
私の好きな話で、下川裕治の沖縄本の中で、「新橋辺りで横のサラリーマンの会話を聞いていると、『パワーポイントの資料はあれじゃ駄目だ』『そこのところが重要だったんじゃないの、昨日の会議』とか仕事の話が聞えてくる。ところが、沖縄というのは、最初そういう話をしていても、『ゴキブリは素手で捕まえられるか』『ヤギ汁って飲める?』というおおよそ大人が話す内容ではない会話になる」ということを書いていました。別に沖縄とかが言いたいわけでなく、こんなアホ話が出来る相手を増やしたいなあ、と思っている今日この頃なんですな。そういう中で、「ま、これからこういう連中と話すんなら、まあ先も面白いかな?」と少しずつでも思えれば、ちょっとは元気が出てくる気がします。
さて、藤川ユリちゃんの画像でも検索して元気出そう(違うって?)。
やっぱり有り得ないな、これが議員というのは....。
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コメント
ノンポリというポリシーすらないので全く知りませんでした。藤川ユリ。
Good!です!思わず八戸に引っ越そうかと考えてしまいました。(笑)
って、こんな馬鹿話だったらいつでもOKですよ。(笑)
投稿: hirosz | 2008年9月30日 (火) 20時35分
連投失礼。
気が付きました。選挙期間中に八戸に行けば握手できますね。記念撮影なんかも♪
う~ん、八戸の製薬企業探してアポ取れねば。
投稿: hirosz | 2008年9月30日 (火) 20時38分
hiroszさん、
これは反則も良いところでしょう。これで生活力あったりしたらもうhiroszさん夢のヒモ生活(笑)。さあ、八戸に行きますか?
投稿: ドイツ特派員 | 2008年10月 1日 (水) 23時16分