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2008年9月17日 (水)

最近老いについてよく考える

40を超えた辺りから、急に人生の後半について考えるようになりました。特に最近は、色々と疲れ・悩みが多きお年頃になっているんで、余計なんですね。

大体ざわざわした喫茶店やスターバックスで、一人ぽつんといるのが一番思索には良い時間でして、そういうときに

・後どのくらい生産性のある人生が送れるんだろうか?                      ・これからできることは?出来なくなることは何?                              ・老いてきたときに人間関係はどうなるんだろう?                         ・これからどれくらい新しくどきどきすることがあるんだろう?                    

などと結論のない問いを発したりするんですね。老いを「衰弱」ではなく「成熟」にするためにはどうすればいいんでしょう?

=生産性の限界=                                            これはドラッカー氏の受け売りですが、知的労働に関わっている限り、その脳が動くのであれば年齢はその生産性能力とは関係がないでしょう。問題はその場があるかどうか、という社会的な限界の方が大きいですね。皆が皆起業できるわけでもなく、それで失敗したら取り返しの付かない年齢になってもしゃれにならない。そうすると、会社という社会規範とは別に、自分の生産性を持てる場を確保する必要がありますね。これは昔に比べるとネットという圧倒的な道具がありますから、何とかなると信じています。

=できること、できなくなること=                                      結局これも肉体的なことが大きくなるでしょう。今趣味にしている楽器にしても、やはりどこかで限界が来る。例えば、「年齢を考えると素晴らしい」などと言われているのは既に「年を外せばどうってことない」の裏返しになっているだけです。じゃあ出来ることは何か、というと例えば知的ネットワークの拡大(という名の下のお知り合い拡大)であったり、できる人を育てることであったり。

=人間関係=                                              老いてから新しい信頼を伴う人間関係を構築するのは難しかったと思います。また、今はネットで若者の人間関係が希薄になっている、という話しもあります。ところが、今自分の周りで起こっていることは、この年齢に実現できると思わなかった人間関係の構築でして、ここ数年での自分の変化では、相当大きな部分です。そうすると、老いてますます広がる人間関係、というのもあるんじゃないか、少なくともここ数年で特にネット関係で出来た人間関係はどこまで続けられるか、実は自分で楽しみにしているところ大です。

=新しくどきどき=                                            それは原幹恵じゃなくてですね、例えば新しい生活をするとか、旅行であったり異性であったりするんでしょう。どうせ人間なんて死ぬまで生臭坊主のようなもんだと思っているんで、人のつながりさえあればまだまだどきどきできるものはありそうです。あと、今は大人っていうのは50歳以上だとJRは規定してますので(笑)、まだまだ子供遊びで頑張れるかな?と思っています(すんなよ、そんなこと)。

やっぱりインターネットっていうのは大きなことだな、と改めて思うわけです。リアルに会うまでその相手が女性か男性か、年上か年下か、本当にどこにいるのか、分からない同士で盛り上がったり慰めたり協力したりすることができる。これを面白がらずして何を面白がる、ってなもんですね。

とはいえ、やはり人生後半に入ると黄昏てしまうおっさんなわけです。ま、見た目もおっさんだからしょうがないんですが、やってることは高校から進歩してないんだよな。

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