うれしい言葉
最近独り言が続く我がブログですが、暫くお付き合い下さい。
えー、先日ある人と食事をしておりまして、お互いの境遇について話しておりました。するとその人、自分の境遇を全く置いておいて
「なあ、君はとにかく頑張れよ。凄く良いことだよ」
と純粋に励ましてくれたんですね。
ま、これだけでは何のことか分からないんですが、その人自身が非常に厳しい境遇にいるにも拘らず、私のことを励ましてくれて、それに全く利害がない。こんな経験は殆どなかったんで、一人になってから本当に幸せなことだ、と噛み締めておりました。
自分のことより他人のことに喜べるのか?他人の幸せを本当に祝福できるのか?何というか人間の力量が試されていますなあ。
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コメント
そのような貴重な(精神的に豊かな)知り合いがいることを羨ましく思うと共に、それはある意味ドイツ特派員さんの人柄があるのではないかと思います。
人の幸せを本当に祝福する・・・ 当たり前のようで実は簡単なことではないですよね!
今の世の中、(マスコミを含めて)人の不幸を喜ぶといういやな風潮が蔓延している気がします。逆を言えば、常に自分の社会的ポジションを周囲と比較して、上位の者に対して僻み、嫉みといった感情を抱いている。
これは、物質主義的な観点から物質的成功を追い求めることばかりに必死になり、物質的に成功した人は有意義な人生を送ることができ、物質的に成功していない人は、無価値な人生を送っているというような考え方に基づくものだと思いますが・・・
これはどうだろうか・・・?
まあ日本が戦後の高度成長時代の中で、大量生産大量消費の社会を築きあげてきた結果であると思いますが・・・
などと物欲丸出しの私が言っても、何の説得力も無いですね! ミ(ノ_ _)ノ=3
でも精神的な豊かさを求めつつ、自分の価値観や信念によって行動していけたらな~とはいつも思っています。
私もドイツ特派員さんの知り合いのような、精神的に豊かな知り合いを多く持ちたいものです。
先ずは自分の人柄の改善からか・・・σ(-_-;)
投稿: 夜猫子 | 2008年11月12日 (水) 17時30分
夜猫子さん、
そうですね、精神的に豊かというか無垢な人は、本当に素晴らしいと思います。それは自分がそうでないから....というところも大なのですがね。
「貧すれば鈍す」という言葉もありますが、ある意味、日本に生まれたことで物質的な幸運は相当満たされると思うんですね。なのに(自分も含めて)不満・不安は増大するばかりなのは何故なんでしょう?この点はまだ自分でも落とし前がついていない問題なんですね。というか、自分の問題として道半ば....。例えばテレビでも、人の金持ち具合で番組が出来てしまうという浅ましさが蔓延しているわけで、そんなものは無視してしまえばいいと思うんですがね。
私の人格も相当問題あるからなあ
投稿: ドイツ特派員 | 2008年11月14日 (金) 01時25分