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2009年1月11日 (日)

理由付けってどうよ?

最近ビジネス書を結構読むようになったんですが、何か本来の目的とは別に、「ンな訳ねえだろう!」という突っ込みを入れることが楽しみになったりしている自分が少し不憫です(笑)。

例えば、よく言われるロジカルシンキングというのがありますね。要は構成要素を漏れなくダブりなく(MESEでしたっけ)出してきて、それで最後の目標を出してくる、と。ゴールを正しくするために必要なやり方だということでしょう。これも含めてフレームワークという奴です。四分法もあるでしょうし、色々な手法があります。

でも、実際の現場ではどうでしょう?

何と言うかな、答えが既にあって帳尻合わせに使っていませんか?大体は例えば、「この製品を○○億円売ります」という目標は既にあり、実はフレームワークでやるとその目標は破綻するにも関わらず、無理矢理その目標に合わせてフレームワークを当て込んでしまう。もうやっている当事者には理論破綻は見え見えなのに、そんなことを偉い人に説明したりなんかして、自信たっぷりに、

「えー、市場分析から入りますと....」

なんてまあ如何にも凄い仕事をしたようなプレゼンテーションをするわけです。自分を省みても何とこっ恥ずかしいことをやっていたかと小一時間....。本当は、

「えー、市場分析の結果、この仕事はもう止めちゃおう?」

という答えがあってもいいんですが、当事者が出来ないということはあるにせよ、そういう結論に達することってないでしょ?

関連しないようですが、昨日の朝日新聞だったかな、Beという別折込に勝間和代がコラムを書いていて、タバコ・酒を止め運動をするためにどうするかを説明していました。曰く

・如何にタバコ・酒が悪いかを理解する                                 ・できる対策を片っ端からやってみて、自分にあった対策を選択する                ・少しでも良いので成果が賞賛されるようにする

ということでした。さて、タバコ・酒をやっている皆さん、どうですか?

「んなモン身体に悪いのは百も承知、好きだからしょうがないよね」

で終わってしまうんではないでしょうか?(ちなみに私はどちらも嗜みません)

こういう理論というのは、実は「んな理屈じゃなくて好きだからしょうがない」「やりたいもん失敗したってやりたいんだもんね」という相手には殆ど通用しないんですね。同じ勝間和代の話で、如何に甘いものを止めるか、という話があり、「甘いものが欲しくなるのはストレスのせい→ストレスは何であるか突き止める→ストレスの元を断てば甘いものが欲しくなくなる」という論理だったと思います。が、

「だって甘いもん好きだからね」

と言われたらこりゃどうしようもない。止めたいと思っている人も、好きなものを嫌いにする、というのはこりゃしんどいですね。

いや、ビジネスにある理屈が必要なのはわかるんですよ。勝間和代のフレームワーク本は良くまとまっていると思うし私もそれなりに参考にしたりしているし、メルマガは取っているし。特に彼女が「教育に力を!」と言っているのは全く同感ですしね。やはりある人数が動くためには、一つ理屈を入れると同じ方向に向きやすいし。ただね、嗜好に対して理屈を入れていくと、どこかで「をいをい!」という話になってしまう。甘いものの話で入れ替えれば、

「やはり教養人としてクラシックを聴かなきゃ→何故ヘヴィメタルばかり聴くのだろうか?→どこかにストレスがあるからだ→そうか、仕事がストレスか→仕事を上手く行かせれば良いんだな.....」

......

ンな訳ないでしょうがああああ!メタルだメタルだメタルだああああ、Arch Enemyだあ、Dragonforceだあ!!!

.....落ち着いて.....

思うに、どうも何にでも理由を付けたがるのが最近に傾向のように思います。夢がないと仕事しちゃいけないのか?パートナー選びは理屈か?モノを選ぶのに思想が必要か?これは以前勢古浩爾が「まれに見るバカ」で宮台真司を「とにかく答えがないと気がすまないバカ」と書いていましたが、それはとても同意できるし、私なんぞいつも「んな理屈言われても分かるかああ」と叫びたいこともしばしば。

私などはバカだから、私生活では理屈なく生きたいと思っていますが、しんどいよなあ、そんなに理屈を並べると。

と並べておいて言うのもどうかと思いますが、回りの評価では私、「無茶苦茶に理屈っぽくて、細かい」らしいです。自分ではそうは思っていなくて、いつも自分の理屈に落ち度があるんじゃないかとびくびくしているんですが、どうもプレゼンも得意に見えるらしいです。

自分の理屈が一番自分で分かってない、ってことか.....。言いたかったのは、少しは人間の本能というか、もう少し素直に「やりたいこと」「好きなこと」を考えたいな、ということです。何故かというと、「好きなこと」は長続きするから。みんなが英語を好きになる必要もないと思うし、株が嫌いな人に「投資ですよ、投資」と言っても駄目だと思う。

(ちなみに投資で言えば、実は株投資をちょっと検討しているんですが、色々な財務諸表よりも、「この会社面白そう」「この会社は何か好きだよね」というところに投資するのでいいんじゃないか?と思っているんですね。何かそれが一番強いことじゃないかと、失敗しても納得感があるんじゃないかと思っております)

何か理屈じゃなくて自己納得になってるなあ、この締めは。

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コメント

どこかの偉い人が言ってました。
「究極好きかキライかで物事は判断する。ビジネスも同じだ。」と。
理屈並べて納得しても最後は結局、「こっちのがいいんだもん」と言えば結論は出る、みたいな(笑)。ま、分析用のフレームワークとしては有用でしょう。過去がアテにならない今の時代はなかなか難しいですが…。

「成功の図式は描けないが、失敗の図式は決まったパターンがある」
これも真実かもしれんですねぇ〜。

いやぁ〜、でもやっぱメタルだ〜!!今はDOOMだ〜!

投稿: フレ | 2009年1月12日 (月) 09時46分

フレさん、

いや全くその通り。「同志」と言わせて頂きます。私の格言は、「成功偶然、失敗必然」。で、これを会議で言ったらまあ怒られた怒られた。やはりメタルに走るしか...。じゃあ私はGusutankで(笑)。

投稿: ドイツ特派員 | 2009年1月12日 (月) 10時37分

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