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2009年2月 6日 (金)

辛さを繰り返さないために(ちとエッセイ風か?)

今日、前職の人たちと軽く夕食となりました。

私が離職して2ヶ月チョイ、色々と変わったことや変わっていないことを情報交換しました。少し寂しいことも、良かったと思うこともない交ぜでしたが、まだまだ今の仲間のような気がしました。

以前の記事にも書きましたが、チームとして誰も嫌な人は居ませんでした。そりゃ難しい人は居ましたが、嫌われていたということも嫌っていたということもなく、寧ろその難しい人は私の事は評価してくれていたし、その他の人も良い人だったと思います。

やはり辛いですよね、そんな人たちと別れるのは。

何と言うかな、高校生の頃にバカやっていた頃って、それが永遠に続くように思える。でも、やっぱり終わりが来て、突然シャッターが落ちるようにあるところで切断されるような感じ。少し思いましたよね、「この人たちと、ずっと今の関係が続けば良いよなあ」と。

それを自分で切ったわけです。最後の悩みは、「彼らとの関係で残るか、自分の為に去るか」ということでした。今日、改めて当時の悩みを思い出していました。

最近、新しい職場にも少し慣れて、多少なりとも同僚と突っ込んだ会話をするようになりました。ただ、改めて思うことは、

もうあんな辛い別れは嫌だ

ということ。それは、確かに仕事を通じたことだし、相手はそんな風に思っていない片思いであることは重々承知しています。それでも私には重大な別れだと思うし、ある意味女性との別れ以上だと思います。これを教訓とすれば、今の職場でも、相手との距離感を適度に保った関係を維持し、何かの形で別離が来たとしても、あまり辛い思いをしないようにしたい。

これは、別に反目するとか冷淡にするということではないのは言うまでもありません。少し表面的な関係かも知れませんが、それでもその距離を上手く取るのも私の新しい経験ではないか、と思っています。

前職で色々な人と仕事をしましたが、最後で仕事をした部門が一番関係が深いものでした。もし、本当に何か私が役立てることがあり、それが無いために困っているということがあるなら、何はともあれ助けに行くつもりです。ですがそんなことはないでしょう。1人が居なくても、残酷なくらい何もなかったかのように時間は過ぎ、存在は風化します。

どこかでやはり、「起こったかもしれない未来」に囚われているんだと思いますが、少しその思いに浸りたい、と思っています。今日はお許しを。

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