相手に伝わるために最低限必要なのは
先日のエントリーに対して、こでまりさんからコメントを頂いて、ふと昔に気付いたことを思い出しました。
それはある会議でのこと、偉いおっさんが私に質問、それに私が答えたのですが、そのおっさん、
「何かお前の言ってることが良く分からん」
と一蹴してきました。その時、実は相当はっとしたんですね。それは、
自分の発言が相手が理解されない時は、自分で自分が発していることが良く理解できていない
ということ。要は、「自分が分かっていないことは相手に伝わるわけがない」という見も蓋もない事実に気付いた瞬間でした。そのときも、どうにも自分の言っていること自体がよく自分で分からない。分からないことを一生懸命言ったところで、わけの分からなさに輪を掛けるだけですから、もうどうしようもない。それは、「ここは分からない」ということを言わなくてはならない、ということも必要になる訳で、そこに気付くのにえらく時間が掛かった私はやっぱり知的に低いのか(涙)。
このブログなんかは私が好き勝手書きなぐっているんですが、それでも書いて一度読むと、結構単語の補充やら句点の付け直しやらをやっているんですね。句点で言えば、ブログを始める前はかなり句点の少ない文章を書いていた気がします。結構句点の打ち方は気にしていて、意味の切れ目にないところに句点を打つのを嫌っていました(この点については、本多勝一の本を大学時代に読んだ影響でしょう)。ただ、こうやって文章を書くと、結局読む側がどこで休むか、ということも多少は気にするところがあります。
分かることだけ書くというのは、非常に詰まらないことかも知れません。それでも訳の分からないものよりはマシだろうと思いますな。
じゃあもっと世の中を判れよ、俺
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コメント
こんにちは^^
自分の名前が出ていてビックリしました^^;
自分の分かってないことは相手に伝わらないっていうのは真実ですよね。
わたしも何年かブログやってきて、
カッコいい言葉を使ってカッコいい文章書きたいとか思うんですけど、
自分の中でこなれてないことを書いても、
自分で読み返してワケ分からんのですよ(自爆)
句読点と改行も大事だなと思います。
この前の書き込みのレスで「気合が入ってる」というお返事を戴いて「あっ」と思ったんですが、
自分としては「自分がこれにどれだけの思い入れがあるか」ということを書きたいんだろうと思います。
いまだに、自分の方向性が分かっていなくて迷走している状態なんですけど、
行く先が見えた感じがしました。
どうもありがとうございます(o^-^o)
投稿: こでまり | 2009年3月 8日 (日) 13時39分
こでまりさん、
あのDTの記事、気合の塊ですよ!私にあんな気合の入った文章が書けるか...。やはり気合は通じるもんだと思います。
こうやって文章を書く、と言う行為自体が大事だと思う今日この頃です。
投稿: ドイツ特派員 | 2009年3月 8日 (日) 17時11分