贖罪意識
以前、こんなエントリーを上げたことがあります。
当時、今の会社に移るかどうか物凄く悩んでいて、「やはり義に生きた方が良いんじゃないか?」と思って書いたエントリーでした。このエピソード、特にアマラオのエピソードは私も読んで泣いてしまいましたからね。大体チームを離れてもう5年、弾幕が未だに一番大きいなんて有り得ないでしょ?
その後、私が居たプロジェクトは解散、既存(それも私は絡んでいましたが)の一部門に吸収されました。今でもそのプロジェクトの面々は非常に苦労しています。
私は逃げたんだろうか?
この思いはずっと残る贖罪意識でしょうか?結構「あー、あの人は辞めてくれてよかったんだよね」ということかも知れません。が、やはり、「義を取れなかった」という自分自身の重い感情は残りますね。
だからこそ、今の仕事をやって「ま、あいつも辞めてよかったよ。あっちの仕事で上手く行っているみたいだから」と納得してもらうことが必要なんですね。
どうもこれまた色々な人に誤解されるんですが、私は基本的に小心かつ人の意見を物凄く気にする人間です。態度が悪いんで、本当に「俺様野郎」と思われることも多いんですが、んなことはない。どう評価されていたのか、最悪の時どうなるのか、そんなことを日々悶々と考える、とても非生産的な人間です。
でも、そろそろ「俺はこれなんだ」というものを出さなきゃいけない時期なんでしょう。それは傲慢なことではなく、筋肉の付いたものとしてやらなきゃいけない。
連休っていうのは、たわごとが増えます....。
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