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2009年7月11日 (土)

自分に合った仕事考

さんざんっぱら、「仕事が出来るだけでそれ以外のことを得意げに語るな!」運動をしているにも拘らず、こんな題をつけてしまう私は今Galneryusに夢中だったりして。

これをカッコイイと思う人は正しいメタルヘッドですが...。

自分がギターを弾いていて痛感するんですが、恐らくプロになっている人でそれなり以上にうまい人は、普通の人が思っている以上に軽くある水準以上になったんだな、と想像しているんですね。筋肉少女帯の橘高文彦が言ってたんですが、「多分早弾きの上手い人というのは、元からそれなりに早く弾けたんだと思う」ということらしいです(ということは、彼がそうだったはず)し、ゴルフの青木功は、初めてプレーして確かハーフ50くらいで廻ったはず。楽器やスポーツっていうのは最たるもので、例えばそれなりのギタリストなんかで直ぐにドラムが出来たりキーボードが弾けたりする人がゴロゴロいます。恐らく楽器に対する勘所が凄く良いんだと思います。

こんなことを再認識したのは、先日ある人と食事をしていて、

「俺、語学の才能が無いことがわかった。その時間を別のことに使っておけばなあ...」

という発言があったんですね。その人、語学で大学院まで行って、私から見たらもう語学の雲上人のように思っているんですが、本人はそうは思っていない。やはり才能は努力を凌駕してしまう部分を認識したんだと思います。自分でも痛感しますが、やはり時間が掛かるとそれに時間を掛けずに能力を獲得できる人との間の差が絶望的なんですね。

それをはっきり書いた本がありました。


この本、文章術と書いていますが、かなり普遍的に仕事を考える上での参考になることが書かれている本だと思っています。で、この中に、「貴方はなぜ文筆業を選んだのか?」という質問があり、こんな風にこたえています(当方抄訳)。

「仕事としてできる条件は、好きか、得意か、ニーズがあるか、だと思う。その中で自分は得意と思ってこれを職業・仕事としているが、じゃあ得意というのはどういう定義か、といわれれば、自分の能力の60%程度で完成できるものだと考える」

「相手がどう思うかは別にして、自分は仕事に120%を掛けてやってしまうと長続きしないと思っている。長続きさせようと思うと、全力投球しなくても出来ることをやるべきだ」

これは耳が痛くなるも、全く正しい指摘だと思っています。何故か最近は「正しい努力をすれば正しい成果・結果になる」ということを強調しすぎている嫌いが世の風潮にあると感じていますが、その前提は、「正しい努力対象に対して」というものでしょう。極端にいえば、体重が40kg以上増えない人が相撲を志すようなもので、「貴方の活躍はそこじゃ無いでしょう?」というもの。

で、実はこういうことって言うのは、仕事にも言えるんじゃないか?とずっと思っていました。例えば、自分の駄目さ加減を棚に上げて言えば、仕事しても同じ 失敗を何回もする人は実際にいますし、そういう人が人としては物凄く真面目だったりするわけです。言ってしまえば「センス」という言葉になるんでしょう が、それの有無というのは大きい。

だから、会社では色々な職場を経験したほうが良いのだと思っています。あとは、自分の仕事でも少し違ったこと、例えば営業が財務諸表の分析をするとか、事務屋が技術のことに頭を突っ込んでみるとか、そういうことで意外に向き不向きが変わるかもしれません。私なんか、実は色々な分析や、技術的なことが好き、というのに気付いたのは30過ぎてからでした。また、実はどうも技術屋のような考え方をするらしい、と指摘されたのは35過ぎてから(おせえよ!)。元々は物凄く情緒的・直感的な人間だと思っていたんですが、周りからは分析的な部分が異常に強いところがある人間に思われているみたいで、要は「理屈っぽいよね」ということらしい。意外と上に対しての喧嘩っぱやさもあったりするんですが....。

で、とっちらかりますが、これで逆に努力の方向が一つ見えてきたものがあって、「60%の力で仕事するためには、何処で手抜きをするか?」ということが結構重要なのかも知れません。要は、仕事の重要点は何か、変化点は何か、ということを見ることがかなり必要になってきそうです。で、その重要点・変化点に負荷を掛けて仕事できるような分配をすることですね。手抜きというと語弊があるんですが、私なりに言えば、「何処が作業で何処が仕事なんだ?」ということ。作業には必要以上に労力を掛けず、仕事に手間暇を掛ける、ということです。

このことというのは実はフラクタルな形になっているわけで、例えば作業と仕事といっても、その作業を円滑にやるための作業と仕事が前提にあるわけで、ある時期はその作業に時間を取られることもあり得ます。それはあくまでその先の作業と仕事を円滑にする目的で、その先に、その先に...とずっと続いているものでしょう。

結論としては、
①まず、一番の理想は、六割程度の力で出来る仕事に就き、それを長く続ける
②①のような仕事に就けなかったのであれば、何とかその仕事を今までより軽い負担で出来るようにする。手抜きと集中を明快にする
③まずは、作業の時間短縮を考え、その短縮した時間を仕事に使う
④もし①②とも駄目でも大丈夫。今の仕事をコツコツ続ければ、物凄い大成功はできなくても、恐らく私が言う「天晴れな人生」は送れる。それが出来ないのは社会の仕組みの問題。

私ですか?やっぱ取り得なしだとすると④かあ?


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コメント

私の仕事考と全く一緒です!

> ②①のような仕事に就けなかったのであれば、何とかその仕事を今までより軽い負担で出来るようにする。手抜きと集中を明快にする

特にこの一節は激しく同感です。

一般に『仕事のできる』人というのは、継続的に『ヒット』の出せる人のような気がしています。
特に、チャンスに『ヒット』を出せる人。

そうするためには、チャンスの瞬間に異常な集中力と能力を発揮する能力が必要な気がします。

いつも100%の力を出していると、その瞬間は120%の力を求められるわけで、『神がかった力』が必要だと思いますので、そこでヒットがだせる確率は低い。
一方、日頃60%の力でできる仕事をしていれば、そのチャンスの時に、100%の力を発揮すれば、その確率は高まるはず。

こんな風にいつも思っていますので、仕事はいつも80%くらいの力で、手抜きをして、累
チャンスのときは、2累打目指しています(笑)

投稿: デレク | 2009年7月16日 (木) 15時59分

デレクさん、上のYouTubeへの反応かと思えば(笑)こんな駄文への反応、有難うございます。

確かに世の中、例えば日本電産の永守氏の様に、「一年で休みは元旦だけ、会社に行くのが6時半で出るのが早くて23時、出来なきゃ会社を辞めてね」というような人はいます。ただ、それは例外で、やはりある程度の強弱は必要かと。

もう一つ、できるひとは「その強弱を感じさせない」というのがあります。以前私が複数の事業部で仕事していた時に考えていたのは、「自分の中での割合は付ける、但し相手事業部には全力でやっているように見せる」というのがありました。要は、「あいつ、あっちに手を掛けてこっちの手を抜いてるな」と思われないこと。それが出来たかどうかは別にして、その辺りも仕事のやり方の一つでしょうね。

で、全力でも駄目なので、どうもギターは才能が無いようです(涙)。

投稿: ドイツ特派員 | 2009年7月16日 (木) 21時11分

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