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2009年7月20日 (月)

人は何処まで前進するべきなんだろうか?

今朝の朝日新聞で、カズオイシグロが短編発表に寄せてインタビューを受けていました。

カズオイシグロインタビュー

彼の小説は「日の名残り」と「私たちが孤児だったころ」を読んでいますが、何とも言えない抑制が効いた文章で、気品がある小説だと思います。時が止まった個人と時が流れる周辺の対比が美しいな、と思っていました。今回は初めての短編ということですが、このインタビューで彼が、ドキリとすることを言っています。

「一方で、我々が生きる社会も変わりました。最近は、人生をやり直すのに遅すぎることは無い、という風潮が広がっています。現代社会は『今のままの自分であきらめてはダメ。人は変わることができる』というメッセージを出しています。その意味で、決断の日をどんどん先送りし、自分の夢をいつまでも育んでいられる環境なのです。でもそれは、現実の自分をあざむいていることでもあるわけです。」

これは、以前から私が漫然と考えていることの一つで、今の人間がある種暴走していることの一因だとも思っていることです。少し前に、自分のブログでも山田太一の発言を取り上げたことがあります。

山田太一の発言について

今の社会って、「常時自動ケツ叩き装置」というか、常に何かに追い立てられている状態が出来ている気がします。それを止めれば死んでしまうかのような恐怖感というか、0か1の二進法での生活。じゃあそれが出来なければどうなの?と言われれば、ニートのような状態であったり、以前宮台真司が言っていた「日々をまったり過ごす」やり方だったり。でもそれも言わせて貰えば二進法の片側に極端に振れてしまったものでしかない気がします。

例えば今回の不況の原因にしても、「もっと、もっと」が膨らんだための結果でしょうし、「もういい加減その辺でいいんじゃねえの?」と思うべき技術開発にしても、何処まで行くんだ?という勢い。だからこそ色々な矛盾や歪みが起こっているんじゃないでしょうか?

これは非常に書きにくいことなんですが、山田太一の発言は例えば臓器移植をどう考えるか?というところにも色々な示唆を与えてくれると思っています。要は、「命の可能性を何処で諦めるか?」ということ。「とにかく可能性を掛けて生を継続せよ」という部分と、「もう良いじゃない、ゆっくりさせてあげようよ」という部分の見立てで、今はやはり前者の考え方が優勢なのだと思いますが、少し後者を考えてみても良いんじゃ無いでしょうか?

敢えて纏まっていないままに文章を載せてしまいますが、またこの内容は変わると思います。いや、頭悪いんで、綺麗な結論には行かないんですよ。

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