広島と長崎によせて
また、8月になりました。
私は広島、長崎とも訪問しています。原爆関係の展示も見ています。小さなころ本で見た「原爆の影」は非常に衝撃を受けましたし、実際に見学した際、その影が薄くなっていることに時間の残酷さを感じました。広島・長崎の展示物にしても、炭化した弁当箱や溶けてしまった瓦など、演出が少ないだけに胸に迫るものがあります。
今「100年に一度の危機」と言われていますが、「何を言ってるんだ!」と言いたいですね。言ってしまえば高々金の話なんです。命が直ぐになくなるわけではないし、ましてや今の日本は世界でも有数な「命を失くす危険の少ない」場所です。そういう国になったのは、あの戦争で生き永らえてくれた人が、目の前のことに懸命に対応してくれた結果だと思います。そこには高邁な精神も理想も持つことが出来ず、とにかく日々を生きるので精一杯だったのではないか、その積み重ねの結果としての復興だったのだと考えています。で、その人たちが命を繋いだから、今の人たちが生まれて育っているわけです。広島・長崎だけではなく、それこそ市井の人には、見えないけれど物凄い力を持っているわけです。日本だけでも、近年でいえば神戸の人たちを見れば、不幸にして亡くなった方(それは震災後のことも含めて)の思いも含めて復興をしているわけです。
広島・長崎はあくまで我々日本人にとっての一つの(しかし重い)例に過ぎません。アウシュビッツであったり、インドネシアであったり、ボツワナであったり、世界の至る所で「その日生きるだけが目標だった、今でも目標である」ところが山ほどあります。そんなところで考えると、今の日本が如何に幸福なところなのか、何がその幸福の基礎になっているのか、忘れないように考えたいと思っています。ここで言っても仕方が無いかもしれませんが、五体満足なのに命を自分で絶とうとしている人には、「そんな勿体無いことはしちゃいけない」と言いたい。
子供の頃の私は、原爆を浴びたパン屋のおじさんを書いた絵本を読んで、ぼろぼろ泣いていたそうです。原爆を浴びる前は人気のパン屋だったのに、原爆を浴びて顔も分からないくらいのやけどを浴びたため、パンが売れないという話だったと思います。だからどう、ということではなく、心のどこかに置き続けておきたい話なんです。
当然私は戦争を全く知りません。幸か不幸か親族にも殆ど戦争に行った人がいませんから、伝聞としての戦争すらあまり聞いていません。ですから以前沖縄に行った時、喜屋武岬から陸地を見て、ここで隠れきれない日本人が戦争の犠牲になったことが直ぐには理解できませんでした。それから、これで隠れきれないほどの徹底した戦闘というものに恐怖を感じていました。
我々が持たなくてはいけないことは、「想像力」と「伝承」です。
呆けた平和主義かもしれないし、安全地帯からの戯言かも知れません。それでもこういうことを考えて続けたいと思う8月です。
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コメント
年に一度くらいは国民全員で喪に服する日があってもいいんじゃないかってよく思います。
人生において、まじめに考えることと感じるということは、すべてにおいて基本ですよね。
特に子供達には難しい話だけども、こういう事実は絶対に教えるべきですよね。
自分が親になってからは、特にそう思うようになりました。
投稿: elmar35 | 2009年8月 7日 (金) 21時25分
elmar35さん、
どこかでこういうことが残っていないといけないことなんだと思います。子供には、とにかく「場」を与えることが必要ですよね。最後は自分で判断すればいいんで、「場」さえ与えればいいんじゃないかと思います。
投稿: ドイツ特派員 | 2009年8月 8日 (土) 10時31分