「できすぎ君」の世の中(補足というか)
先日の私の記事、自分で書いててなんか纏まらんなあ、ともやもやしております。で、少し補足したいと思っているんですな。
結局、ある種の「万能感の獲得」に囚われることは意味が無いんじゃないか、ということかな、と思っています。これはビジネスでも私生活でも変わらないでしょう。「英語は出来ます、技術もわかります、マネージメントも任せてください、人付き合いも得意です」ということ自体を目的化するようなことで悩むのはつまらない。もし、そうでなければ生き残ることが出来ない世の中であれば、その世の中が間違っているわけで、早くそんな世の中は変えなきゃならない。
ドラッカー大先生も仰っていますが、「人間は得意なことでしか貢献はできない」ということです。苦手なことが得意なことを隠すくらい酷ければ別(例えば幾ら英語が出来ても人としゃべることができない、とか)ですが、「自分の得意は何か、何で貢献できるか」を考えれば、絶対誰でも何かがある、そこに私は希望を見出したいと思って日々生きているのかもしれないですな。
なーんて、中々何も世に貢献していない中年でございます…。
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コメント
確かに、「人間は得意なことでしか貢献はできない」ですよね。でも「得意なこと」って見つけるのが難しいのもまた事実だと思います。自分が「得意なこと」と思っても、自分よりその分野で長けている人は世界中に数え切れないほどいるわけですから…。
私は「平均より上」を複数持つしかないと考えているのですが、特派員さんはどのようにお考えですか?
投稿: のもっち | 2009年10月 4日 (日) 19時55分
のもっちさん、
うーん、重い問いですね。この問いを考えて会社に行って知恵熱じゃないですが頭痛くなってきました(苦笑)。
このことだけでエントリーが立てられそうなので、
それで思いを出してみます。
出なかったらすんません(殴)。
投稿: ドイツ特派員 | 2009年10月 5日 (月) 19時19分