自分が居る意味とは何だろう?
ちょっと嬉しい話ではありますが、相当のこっ恥ずかしさのある文章なんで、まあ多めに見てやって下さい。
というのもですな、とある方から私のボンクラブログに対してコメントを頂いたんです。
その方からの説明に曰く、
1.あるきっかけでこのブログを知った
2.内容を読むととても色々なことを書いている
3.そのエネルギーもかなり大きいと思う
4.忙しいように思われるが、その合間で色々と考えている
(いや、本当はもっと褒めていただいたんですが、それを自分が書くのがあまりにもこっ恥ずかしく、また当ブログの実態との乖離もあり自粛しています)
ということで、何かこちらが赤面する内容でございました。ですが、この方からのコメントを見て、
ブログやって良かったかもな
と思っている舞い上がり中年デブでございます。
先日、リリーフランキーの「ぼろぼろになった人へ」という短編集を読んでいたんですが、その最後の短編で、主人公が悩むんですね。「俺はこれから何が為せるのか?」って。「でも恐らく何も為さずに人生は過ぎていく」という括りだったと思います。自分自身、大した能力もないのに、「俺はこんなはずじゃない」「まだひとかどの人間になれるはずだ」と誇大妄想のように考える事が無いわけじゃない。それは本当に小さなことではあるんですが、それでもやはり悩む。
じゃあ日々の生活で嬉しくなることは何だろう?ひとかどではなくても「まあ良かったんじゃない?」と思えることは何だろう?と考えると、
「あなたに元気にしてもらった」
という事があることかな?と思うわけです。一番の究極は「貴方で幸せになりました」という人が一人でも多く居る事でしょうが、そこまでおこがましくなくてもいいんじゃないかと思うわけで、小さい影響があるというのは本当に自分も嬉しいんですなあ。
会社でも何でも一番辛いのは、「自分の貢献がないところに居続けなきゃいけない」ということだと考えていて、先日もあるちょっとしたカウンセリングでも「貴方の一番の優先は『貢献』ということですね」という結果が出ました。今回のことは「貢献」なんていうおこがましいものじゃないですが、少なくとも「影響」はあったんじゃないかな、と一人嬉しくしています。
こちらが元気を貰った日曜の午後の話でございます。
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コメント
特派員さんのブログは、わたしも同じことを思います^^
ほんとにいろいろと考えておられるし、
こちらで記事を読むことで自分もそれについて考えたりします。
お忙しいのに、出張の記事もいつもアップしておられるし、
そのエネルギーには驚きます。
ブログやっていて、読んだ方に何かしら感じて貰えたら嬉しいですよね。
自分も何かを感じたい。だからネットを繋いでお友達の居る場所へと行くんでしょうね
投稿: こでまり | 2009年11月29日 (日) 21時28分
こでまりさん、
過分な言葉ありがとうございます。世の中には頭の良い人が沢山いて、「うーん、俺ってアホだなあ」と思うことがしばしば。ただ、やりたい事は色々とやりたいなということをエネルギーと思っていただけるのであればそうかもしれません。
そう、何か繋がりたいのでやっているようなもんですね、ブログ。こでまりさんのブログは「愛」の塊ですし。
投稿: ドイツ特派員 | 2009年11月29日 (日) 22時16分