音を残していくこと
先ほど、Vow Wowのことで取り乱しましたが、昔の音源を聴いていて思ったことがあります。それは、
どうやって良いポピュラー音楽を残すか
ということ。
この「残す」という行為は、単に「音源を残す」ということではなくて、「継承する」ということです。例えばクラシックの世界では、楽譜という形での継承が為されていたんだと思います。音源が残っていくのは恐らく19世紀後半から。想像ですが、色々なところに「継承されず忘れられた素晴らしい音楽」というものがそれこそ山のようにあったろうと思います。それは、文字を持たなかった人たちの文化が埋もれたのと同様、楽譜という継承がなかったからいつの間にか消えたものでしょう。
現在では、それこそ数多のポピュラー音楽があり、その音源も定期的に再発されています。ただ、そこでそれらの音楽が、時代性を反映したものに変換されてもいいんじゃないか?と思うんですね。例えば、今回も再発されたビートルズのアルバム、それはあくまで「ビートルズの演奏した作品」になっていて、「ビートルズの作品」とはなっていないわけです(善悪ではなくて)。そうすると既に1970年までに演奏したビートルズの作品は、その作品の再生産以上のものではない。
私が「継承」と考えているのは、「作品としての扱い」をもっと増やしていいんじゃないか?ということ。ロック演奏というのは基本オリジナルを演奏することで成り立っているんですが、「過去の偉大な作品を演奏・録音する」ということに特化したロックバンドが出てきてもいいんじゃないか?と思うわけです。
当然解釈論やら何やら、色々と難しいことは出るでしょうし、もとより著作権をどうするんだという大問題がありましょう。が、むしろそういう色々な形での継承があったら楽しいでしょうね。大胆なアレンジがあっても良いと思うし、コピー的なものがあってもいいと思う。クラシックだって、グールドの「トルコ行進曲」なんぞはありえないヴァージョンになっているわけで、そういうことがロックであってもいいんじゃないですかね。
こんな事を考えるのは、特にロックと言われる分野で、その時代反映で廃れてしまう・忘れられてしまうものが多いからなんです。だったら、時代性を反映して「お、これ良いじゃない?」と継承されることはかなりアリなことじゃないでしょうか?山崎まさよしがカバーをやったような感じかな?
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コメント
はじめまして!トネリコと申します。
お話を拝見しながら、私もグールドのことを思い浮かべていました。ロックに留まらないドイツ特派員さんの守備範囲の広さには脱帽です。
「継承されず忘れられた素晴らしい音楽」
人生を音楽に喩えるとしたら、このHPこそドイツ特派員さんの知的でエネルギッシュな演奏(パフォーマンス)を後世に伝える楽譜の役割を果しておられるのかもしれませんね!
投稿: トネリコ | 2009年12月 6日 (日) 04時17分
トネリコさん、いらっしゃいませ!
いやいや、私は単に広く浅くだけですので、呑気にお読み下さい。それでも、こういうデジタル技術が色々なものを残しやすくしているのは事実だと思います。
投稿: ドイツ特派員 | 2009年12月 6日 (日) 08時37分