過ぎて行く日は美しいのだろう:「卒業アルバム」(安達哲)
先日ふと思い出して、居ても立ってもいられず速攻で買ったのがこのコミック。実は殆どコミックって今は読みませんが、かつては良く読んでいました。
実際には、この中の短編である、「卒業アルバム」を読みたかったんですね。
内容はもうベタな高校青春モノ。今の若造だと恥ずかしくて読めもしない可能性あります。本当にラストなんて赤面モノ。でも、おぢさんは読んじゃうのよ。ここで出てくる最初の文章が泣ける。
「人生の終わりの十年いらないから、この三年がもう一度欲しいってだれかが言ってた」
「十年どころじゃない、今から思えば二十年でも三十年でも取り替えていい」という人だって居るでしょう。私はそこまでの良い高校生活じゃなかったけれど、それでも良い大人になった今の一年の重みと十代のそれは全然違う気がする。多分、今が充実していたり、未来を見る人はこんな言葉に殆ど感情を動かされないんだろうけれど、そうでない大多数の人は、何か感じるんじゃないでしょうか?
高校時代って、全能感と無力感がない交ぜになっている時期だと思う。「俺は何でも出来るぜ」というのと、「何でこんなに何も出来ないんだ」というのと。そんな揺れ動きは今でもあるんですが、それでも全能感というのは既に無いですし、当時の出来る=出来ないから、今の出来る≦出来ないへの変化はどうしようもない。だからこそ、まだなあんも考えずにアホやれた十代というのがまぶしくもあり恥ずかしくもあり、なんでしょう。
この頃の男子は、やけに女の子とばかり考えていて、そのくせいざとなったら照れ隠ししたり、アホなことをアホとも思わずにしてみたり....。意外なほどピュアでね。でもって、今でも後悔するのは、
「もっとこの頃のことを覚えていたかった」
っていうことですかね?いや、当事者はんなことを考えないからこその時間なのは分かってるんですが、それでも、一割くらい意識して覚えていたら、もっと楽しかったかもしれないし、実はこっ恥ずかしかったかもしれないですけど。
こんなコミックだったり、ちょっとした話だったりを急に思い出すことがあるんですね、最近。そういうことも私を構成していることの一つなんでしょう。みんなが共感できるかどうかは分からないですが、ちょっと読んで欲しいな、という戯言です。
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