起業に対する駄文(書き殴り)
ふん、花見だ花見だ、見るのはタダだぜ!金が要らないぜ!減った金は減りようが無いぜ!
・・・と取り乱しておりますが、取り乱したなかで、いつも見ているビジネスサイトにこんな記事がありました。
この中にある内容を取り出すとこんな感じですかね?
確かに日本では、「大企業にいるほうが安全だ」という妄想があり、「1人で起業することは大変」と思われる傾向がある。しかし、1人で起業することのほうが絶対に安全で、リスクは少ないと私は考えている。なぜなら、人に依存することが一番のリスクだからだ。何事も自分の判断だけで進めていくことが可能であれば、自分さえ正しく判断すればそのまま正しい結果が返ってくる。しかし、組織の中で人に依存すると、コントロールされてしまうため、合理的でない人が上に立てば自分もとんでもない目にあう。
きっと「やりたいことがわからない」人もたくさんいることだろう。私も漠然としか何をやりたいかがわかっていなかったが、そのなかで「これがいいのではないか」と思ったことを選んできただけだ。「何もやりたいことがない」と心配せずに、自分の好きなことを勇気を持って選択する気持ちがあれば、後悔せずに済むのではないだろうか。
日本がハングリーだった時代は終わり、多くの人が「そこそこ幸せなら、あまり頑張らないでこのままでいい」という意識を持っている。実は、そこに危機意識の欠落がある。「このままでいい」ということは、他が変わっていくにも関わらず自分だけがそこに留まることであり、それは奇しくも遅れを意味することになるのだ。
何故かすっきりしないなあ。何でだろうなあ。
何ですっきりしないかなあ?と考えたら、立場を変えたら大企業就職も企業も同じじゃないの?ということですな。例えば最初の段落を、
確かに日本では、「大企業にいるほうがリスクだ」という妄想があり、「1人で起業することは思ったより安全」と思われる傾向がある。しかし、大企業にいるほうが絶対に安全で、リスクは少ないと私は考えている。なぜなら、人と判断を分かち合うようにすることが一番安全だからだ。何事も自分の判断だけで進めていくことになれば、自分が間違って判断すればそのまま間違った結果が返ってくる。しかし、組織の中で人の意見を分かち合えるようになると、コントロールされるため、合理的は人が上に立てば自分もとんでもない目にあうことはない。
と変えてもそんなに違和感なかったりして(笑)。というか、「絶対」って何でしょうか?「絶対」が付く事なんて、やる価値がないことじゃないかな?それこそ大企業で、「それは絶対に成功するのか?」と言われて、
「絶対成功する事って、みんながやっている事か、誰もやらないことかのどちらかでしょ?」
と反論してボコボコに怒られたことしばしば(苦笑)。というか、「良く分からないよねえ」というところが成功の鍵かも。
いつもこういう文章で自分自身疑問に思うのは、「大企業は幸せの約束ではない」「大企業はリスク」と言いながら、この20年以上、やはり確率として大企業社員の方が安泰にきているんじゃないか?ということ。確かに山一證券は倒産した、拓銀も倒産した、だから大企業は安泰じゃない、というのはその二社についてはその通りなんですが、じゃあ同じことは過去に無かったか、と言えばそんなことはなく、安宅産業然り、永大産業しかり、60年代から70年代でも大型倒産というのはあったわけです。一方起業だって、実際に10年維持できる会社はほんの一割という話もある。どちらにしても失敗というのはありますから、「絶対」という言葉は使うべきじゃない。
あと、(上には挙げませんでしたがリンク内にある)「アメリカでは」というのも眉唾ですな。こういうのを「ではの神」と言うらしいですが、やはりアメリカでも起業に失敗して路頭に迷っている奴は居るわけですよ。ただ、確かに起業に対する壁は日本より低いでしょう。日本の場合、やはり悪名高き「連帯保証制度」を辞めなきゃいかんでしょうね。
すっきりしなかった事をすっきりさせるために言い換えれば、恐らく言いたかった事はこんな事かな?と思います。
確かに起業は、日本の感覚では「失敗したら生活も出来ない」という恐怖を感じる事かも知れない。でも、アメリカには投資ファンドもあるし、もし企業に失敗しても身包みはがされる事はない。また、その失敗を糧にすればその後の就職や企業に大きな影響を及ぼす事はない。失敗というのは可能性としてあるんだけれど、大企業への就職では自分の意思が充分反映されないことも多いから、起業で自分の意思を反映させる事を選択肢に入れるのも良い事じゃないか?
これなら分かるんだけど、勝手に咀嚼しているだけなんで、本当にそうなのかは良く分かりませんね。
もう一つ言えば、こういうのは向き不向きがある。大企業で力を発揮する人も居れば、起業で成功する人もいる。何が違うのか?と言われれば恐らく「孤独への対応力」なんじゃないかな?それは別に優劣じゃなくてね。
更に言えば、起業する人は、こういう文章を読んで「よし、じゃあ起業だ!」とは思わないんじゃないかな?やる人、やるしかない人はやるだろうし、やらない人はやらないだろうし。要は「自分で良く考えろ、人の意見に自分の決定を委ねるな」というこの文章自体の問いかけに戻るわけですなあ。どちらにせよ、自分で決めりゃそれで良い訳で、その手法(企業か起業か)は実は大きな違いじゃないと思います。
とは言え、個人的には自分で会社を経営している人はすげー!と思いますし、自分自身は、「じゃあ自分がこの事業の社長だったら?」と考えて仕事しなきゃいかんのですよ。また、起業は出来るようにしたほうが良い。例えば、商法改正して、「内部留保が売上の○○%以上ある会社は、その内部留保のxx%をファンドに移管する」とかして、大企業の金を一部回し、そこの運用益の一部を移管した元会社に還元するとか。それは国がやらずに、それこそ経団連だのはそういう知恵を出すところだと思いますね、せっかく集まっているんなら。
もうちっと考える事があるように思います。
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