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2010年5月22日 (土)

日本人の働き方雑感:長時間労働はもしかすると歴史の産物か?

昨日中国から帰国しました。いやあTwitterもYouTubeも見事にアクセスできないですな。何がびっくりしたって自分のブログにアクセスできない…

俺は要注意人物か?

ということは置いておいて、往復の飛行機で読んでいたのがこの本。


たまには真面目な本も読まないとバカなんでね…

以前読んだ梅棹忠夫の本でも触れられていたんですが、この本の中でも速水融氏(慶応大名誉教授)の説として取り上げられているのは、日本でも実は江戸時代に産業革命と言える状態が既に発生していたそうです。ただ、イギリスの産業革命と違うのは、
イギリス:労働節約、資本集約
日本:労働集約、資本節約

で達成されたものだろう、という点。具体的に言えばどちらも農業の生産性向上が主体になっているにしても、イギリスは農業の工業化(機械の使用が中心)だったのに対し、日本は個人の労働向上(長時間勤労)だったのではないか、として、
イギリス:産業革命(Industrial Revolution)
日本:勤勉革命(Industrious Revolution)

と捉えるのが適切だろう、としているんだそうです。

で、今色々と言われているワークライフバランスと働き方、という事で言えば、ここに書かれているようなことが実は今でも中心にあるんじゃないか?と思いを巡らせた次第で御座います。要は、「出来るだけ資本を使わずに、人が頑張って仕事するのが労働なんだ」という意識が強くて、それがずっと続いているんじゃないか?そうすると、仕事を早く終えるという事自体が、「もっとやらなければならない、やれる仕事を放棄している」と取られるんじゃないか?ということ。同じ仕事をするのであれば、効率よくするよりも長時間でする方がよい、という見方が残っている気がします。

これはそれこそ日本電産の永守氏だったかな、「仕事は幾らで出てくる」という発言がありましたけど、正に「終わり無く働く事で生きていく」という価値観、勤勉こそが生活向上になるという意識の現われなんでしょう。

問題は、確かに農業の場合、長時間の労働がそのまま成果の増大に繋がっていたかもしれないでしょうが、現在の工業から情報という流れになると、そうは行かないという点。何だろう、Excelで計算するのと手で計算するのがどちらが偉いか?みたいなもので、まさにその部分がフラットになってしまっているある意味辛いところ。長く働いたからと言って入ってくる情報が劇的に増える世の中でもなく、その要領が問題になるわけです。

個人的には、極端なワークライフバランス論というのも受け入れ難いところがあって、やっぱりそうはいっても時間でカバーせざるを得ない人まで「無能」みたいにいうのは、極端な仕事主義とその極端さにおいてあまり変わらない気がしています(また、別のもやもや感もあるんですが、それはまた次に書きます)。が、やはり世の流れは「上手く資本を使って仕事する」という方向でしょうから、もし労働集約を考えるのであれば、やはり働く事が充分に果たせない人たち(日本で言えば女性と高齢者)を活用して総労働量を増やす、というワークシェア的な方向にならざるを得ないんじゃないでしょうか?

かなり乱暴な話ですから、加筆・修正はその都度入りますです。

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