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2010年6月20日 (日)

一歩二歩踏み込んで疑問を持つということ

今、こんな本を読んでいます。


まだ半分程度しか読んでいませんが、私が考えていることと重なる部分があるんですな。

それは、物凄く単純なことなんですが、

「それ、本当にそうか?それは一般的にそうなのか?」

と突っ込むこと。何だろうな、それこそ「半径五メートル程度」の意見で世界を語っていることが多いように思う今日この頃、筆者の後藤氏はその点を問題にしています。

トヨタの生産現場では、「『なぜ』を5回繰り返しなさい」というらしいんですが、それは正に我々の生活で今必要なことではないでしょうかね?我々の生活とは離れますが、少し前にあるサッカー解説者が、ついこの前行なわれた親善試合の韓国戦(2-0で負けた奴ね)の後、日本の攻撃への対応としてこんなことを言っていました。

「とにかくSBの長友が裏に抜けてボールをもらうこと。そしてそれをマイナス気味にFWに返せば得点になる」

いや、確かにそうなんですが、それは結論じゃない。こんな事は現場では分かっている話な筈で、問題にすべきは、

「なぜSBは裏に抜けてボールをもらえないのか?」

という疑問から回答を見つけることではないでしょうか?長友の足が遅いからか?サイドを韓国に塞がれたからか?遠藤からのパス精度が悪いからか?それはどの相手でも同じなのか?そこからドンドン掘り返して行くことが重要なわけです。得点力不足でも同じで、例えば「シュートミスを無くせ」はその通り。では、そのシュートミスはどうして起きるのか?精神的に焦るのか?ポジショニングが悪いのか?打つまでにスタミナがなくなっているのか?元々下手なのか(これなんでしょうけど、なあ岡崎ww)?そこを考えないと対処法が正しく出てこないんではないでしょうか?

ちなみに長友の姉ちゃんは美人www

上記の著書内容に戻れば、「最近の若者はこんな傾向がある」という結論が、実は自分のゼミでの印象だったり、10人程度のアンケート(とも言えない)結果だったり、という事を指摘し、それをさも一般化できる事象として捉えている最近の評論家を批判しています。この点はずっと私も感じていた事だし、自分自身もそういう印象に捉えられた記事を書いたり(これです)しちゃって反省したり。その点では、Twitterというのはある種の危険があって、説明不足の可能性が排除できないですね。

これからは自分の思考訓練として、「それは本当か?」という突っ込みを入れていかなきゃいけないなあ、と思っています。で、それは別にデータ至上主義でもない。逆に「データがこうなんだからこうに違いない」という方向だって議論としては充分あるわけで(勝間和代の若者被害者論や日本不幸論などは、この蹉跌に嵌まっている気がします)、この均衡が課題です。これまた例えばですが、先日Twitterで出ていた大前研一のBOTでこんなのがありました。

学校での成績のよかった人が、意外にも社会に出て落ちこぼれるケースが多いのは、「自分は人より少しはまし だぞ」という思い上がりから、毎日の努力を怠ってしまうからです

これも突っ込み所は満載ですね。

学校で成績の良かった人→何時の時代での成績なのか?
ケースが多い→どの程度多いのか?本当に多いのか?
思い上がり→誰がそうだったのか?


毎日の努力が大事だ、ということは姿勢としては良いとして、どうもその事を説明するのに学校の成績だの落ちこぼれるだのを持ってきた所が失敗じゃないか?と思うわけですよ。

ということで、私自身が突っ込まれ所満載なんですけどね。

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