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2010年9月11日 (土)

昔の仕事が中止された

昨日、前職の同僚だった男からメールが届きました。

「やっていたプロジェクト、部分撤退が決定しました」

自分自身、そのプロジェクトのサブリーダーみたいなもんだったし、その副次プロジェクトにしても、どっぷりとやっていました。部分撤退が今度どういう動きを加速させるかは大体想像が付く。まだプロジェクトの話であれば、離れて二年にもなるのに顧客から担当者から製品名からすらすら出てくる。

やはり逃げた、のだろうか?

今、日本的経営を批判している連中にとっては本当に戯言かも知れない。自分自身、その日本的なやり方を未だに続け、売り上げの2/3もの有利子負債があった会社に居ることに意味を見出せず、アホな上層部との仕事に疲れて結局は飛び出した人間です。そんなことを外野からいうことの無意味さ、無責任さは重々分かっている。

でも、戦うべきだったのではないか?

今の会社、規模は前職の1/10以下ですが、経営はきわめて健全だし、中国の工場連中とも良い意見交換が出来ていると思う。業績も今年はそこそこ好調だし、自分が担当している製品も昨年比50%増、来年も今年比20%増で予算が組めている。給与もある程度納得できるものはもらえているし、上司との関係もなんら問題ない状態。

それでも、全ての納得があるわけじゃない

仕事って、「機能としての仕事」と「情緒としての仕事」があるんじゃないか、と思います。まだ上手く説明できないところもあるんですが、例えば終身雇用の是非を問うた場合の意見の対立は、この「機能」と「情緒」にあるんじゃないか?という気がする。自分自身、職を変えた部分についてはやはり「機能」を維持することがあり、かたや昔の話にどこか心の疼きを感じるのは、それでも「情緒」の部分での仕事をしてきたということなのでしょう。

こうやって辞めた人間に律儀に連絡をくれる人がいて、本音を今でも話してくれる(それは既に離れた人間だから、というのがありますが)元同僚や後輩がいる。夜遅くまで議論したり、長期に出張してがたがた色んなことをやったり。もしかするとそういうところで働くのは時代が違うのかも知れません。

別に答えがあるわけではないし、どちらがどうということでもない。ただただ書き残したかっただけです。

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