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2010年9月23日 (木)

インターネット拡大:意識の変化と世代と

昨日、都内某所にて「Twitter繋がりヘヴィメタルオフ会」が開催され、メタル初心者である私(笑)はバンド仲間に連れられて同行。いや、実際嬉々として行った訳ですが。

参加の皆さんは顔なじみもいればそうでない人もいる、はずなんですが、何ら知り合い度の深さに関係なく馴染んでいるわけで。

こういう部分でのインターネット手段は肯定的に評価できることじゃないかか?

一番大きいなと思うのは、

仕事ではない価値観を見つけられる

ということではないか?ということですね。恐らくこれほどネットが広がる以前は、社会人になってから「会社・仕事以外の付き合いを広げる」ということは相当努力をしないと出来なかったのではないか?と思います。仕事というのが生活の大きな部分を占めていることに異論は無いのですが、特に日本人はそれ以外が無さすぎた。別に人間性を広げるとか詰まらんことをいう気は全く無いんですが、でも、会社や仕事での立ち位置というのかな、それが絶対でも磐石でもないことが分かる機会ができるのは大きいと思う。

要は、「会社や仕事の立場を一切消し去った大人がどう会話できるか」という場が出来るということです。前も同様の記事を上げましたが、「一部上場企業の肩書き」「仕事でやった実績」などで偉そうにする人っているじゃないですか?自分自身、そういう肩書きを持っていたこともありますし、今もそりゃある肩書きはあるわけですが、それはその仕事の範疇でしか価値を持ち得ない。なのに、それがあたかも全人生に通用するような話をするド阿呆が居るのも事実でしてね。インターネットで出来た世界というのは、そういうことを無力化する効果があるんじゃないかな。昨日にしても、会社の肩書きで何かを話すなんてことは皆無だし、皆さんとても気持ちよく話して頂ける。仕事の話はありますが、それは寧ろ上手く自分を落として行く手段だったりして、仕事で自分を大きく見せよう、なんてちんけな人には非常に幸運なことにお会いしたことはないです。会社ではそういうバカによく会ったもんで、それだけでどれだけ気持ちのいいことか。

更にいえば、自分でAwayを作る事だって可能なわけです。こうなってネット住人になっていると、全てにおいて自分と意見が一致する人なんていない、というのが分かる。で、その中で、「ここは合うがここは合わないな」という対象に向かい合うことも出来るわけで、そこで刺激やら見直しだって出来るわけです。「恐らくリアルでの出会いからだととても友達になれないな」という人とも尊重しながらの関係が持てる、とかですね。

ちょっとずれますが、

これは和田秀樹もちょっと言ってますが、「一つの肩書きを別の経験で補強する」というのも同様に嫌なことで、「元ヤンキーの弁護士」とか「元フリーターの社長」とか。あくまで今の実績で勝負しろよ。大体にしてそういう殆ど無い事を使って、「痛みが分かる」だの「やる気で何とかできるだの。バカじゃねーの?と思います。弁護士になるためにヤンキーやったわけでも、社長やるためにフリーターやったわけでもなかろうに。

で、さらに戻りますが、

こういうところに出て行くと、「自分の世代というのは、戦後日本でかなり幸運な世代ではないか?」と思うことがあります。以前大前研一が、「これからビルゲイツ出現以前と以後で、BG(Before Gates)とAG(After Gates)に分けられるようになる」ということを言っていた記憶があり、それはWindows95以前と以降になる1995年が分水嶺になるということだったと思います。私の世代というのは、1995年以前にもそれなりの社会経験を持ち、それ以降もIT拡大の恩恵を一杯に受けた世代になっていると思っていて、要はその分水嶺で分断されている人たちの橋渡しになりうるんじゃないか?と考えているんですね。

元々1960年から65年生まれの世代は、「共通一次世代」「新人類世代」と呼ばれ、当時は物凄く否定的な評価をされてきたんですね。でも今に至るまでは、バブル期までの古き良き日本の上り坂も知っている、その後の停滞期でも対応や勉強ができないほどの年寄りではなく、PCスキルでもまあそれなりに身につけることができた、年金にしても支払いに対等な受け取りができるぎりぎりの世代であり、日本的経営も今の非日本的経営も恐らく同等に理解が出来るんじゃないかと思います(どちらが好きかは個人によるでしょうが)。団塊の世代の話にも理解は示せるし、若い奴らの不満も理解できる。これは「おもねく」という意味ではなくて、本当に状況と内容が分かる、という意味です。

だから、これからの一つの自分でのあり方として、「世代の橋渡し」という意識が出てきています。一面的にある部分を世代で否定するのではなく、合成の誤謬を避けながら融合する。少しそういう意識からの生活を送ることを考え始めています。ま、結局楽しいというのが基本になければ難しいんですけどね。Light Bringerの「Dream!」でFuki様も

だって僕らは一人じゃない ねえそうだろう?

と歌っているわけで。で、相変わらずLight BringerのFuki様がバックから流れる環境、いいのか?本当にいいのかそれで?

Fuki

ほんとさあ、どんだけキュートなんだよ、ええ?

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