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2010年11月 2日 (火)

トリノの回廊にて

まだ、イタリアに滞在していますが、北イタリアはずっと雨で、一部では洪水などの被害が出ているようです。

トリノでは殆ど外出できず、一日目に至っては夕方5時頃から寝て起きたのが翌朝4時半。ほぼ半日寝てるんでやんの。今日帰ってきたミラノでも全然外出できず、近くをうろうろ下だけです。

ですが、こういう日は決して嫌いじゃない。デブの馬鹿はそれなりに色々と考えるわけですよ。あーしかし馬鹿だね、こいつ紀行文もどきを書き始めやがったよ(笑)。

(ここからはちょっと「ですます調」から離れます→あくまでしゃれですからねw)

ミラノから電車で二時間、トリノのポルタネグラ駅に到着して直ぐにホテル予約に走った。ところが、旅行案内の受付の人曰く、「11月1日が休日なので恐らく取れるホテルはないと思う」とのこと。そうはいってもこちらはミラノにも宿はなく、何とかしなければならないわけで、「そうは言っても探して欲しい」と言うと何のことはない、いくつもの空き部屋が出てくるわけだ。いったい最初の発言は何を基にした発言だったのか?

とりあえず駅の横にある一泊75Euroというホテルに荷物を置く。ただ、この日は雨が酷く、傘がない私はどうしたものかと思っていたのだが、ホテルにお願いすると傘を貸してくれた。それにしてもこのホテル、直ぐに貸してくれたのは有難いのだが、私が宿泊客かどうかもはっきり確認せずに傘を貸してくれたことはいいのだろうか?それにしてもこのホテル、さして立派でも豪華でもないが、こじんまりしていて悪くない。清潔であるし、できるだけのことをできる範囲でやっているという空気はとても過ごしやすい。

ミラノからトリノに入ると、その都市の雰囲気が違うことに容易に気づく。当然都市の大きさが違うため単純に比較はできないのだが、無造作に拡大された街という風情のミラノに比べ、トリノは非常に直線を基調に都市が構築されている。元々都市計画をかなり重要視してできたと聞いていたが、ポルタネグラ駅からまっすぐに伸びる道がそのまま王宮につながり、なおかつそれが見渡せるのには驚きがあった。何しろトリノはフィアット社を足元に置く工業都市である、それを優先した開発があってもおかしくなかろうに。恐らくこの見渡しはかなり意図して残しているのではないか。「この見渡しこそトリノなのだ」という主張。

トリノというと反射的にフィアット社、その連想からの工業都市、という流れが起きるのだが、実際に街の中心部でそのことを感じることは殆どない。旧市街の建物は回廊でつながれている。この回廊というのが、直線の街に程よい柔らかさを加えているのは明白だろう。その回廊沿いには「Caffè」と書かれたフランス風のカフェが数ブロックごとに存在している。特に最後の「è」に他の地域と違うフランスの影響を感じてしまう。

雨である、それでも旅行者は歩くに限る。むしろ雨の日にその街は日常を見せるのではないか。雨でも晴れでも土地の人が生活を止めるわけには行かない。旅行者にはその自由が許されている訳であるが、むしろそれを不自由な方向に振ることで、旅行者でもなく居住者でもない立場になる自由も享受できる気がする。

カフェを覗きながら、何か自分に違和感がある。何だろう、何が違うのか。意を決して、というほどでもないが、一軒のCaffèに入り、トリノでは有名なビチェリンという、コーヒーとチョコレートを程よく混ぜた飲み物を頼んだ。ちなみにトリノはイタリアではチョコレートの産地として有名で、この飲み物もどちらかというとチョコレートの味が強いと思う。そこで一人でビチェリンを飲みながら周りを観察してみた。そこで、自分が見慣れた光景がないことに気づいた。

誰もPCと携帯電話を触っていないのだ。

いや、別に全部のCaffèやファーストフード店を見たわけじゃない。ただ、入ったCaffeでも、その後に行った駅のファーストフード店でも、誰もやっていないのだ、PCを。さすがに携帯電話は何人もの若者がやっているが、明らかにその率は低い。休みだということを差し引いても低いと思う。そういえばミラノでもあまりその光景はなかったと思う。別に年配の方ばかりが居たわけじゃない、それなりのビジネスパーソンも居たのだが、みな新聞を読んでいた。

この風景の違いは何なのだろうか?たまたまの休日だったからか?だとすれば、その休日でも屋外でPCを叩いている日本の風景とは何なのか?メリハリ、という言葉だけではない、「休日はそういうことはすべきでない日」という感覚がイタリアのどこかにあるのだろうか?

こんな時、よく「だから日本人は働きすぎなんだ」と言われる意見に繋がることが多い。であるが、私はその意見には安易に組みしない。イタリア人だって働いている奴は働いているのだ。ただ、その切り替えが小さいのが日本人なのかも知れない。日本人でもメリハリをもって働いている人はいるだろうし、逆に「そんなにきれいに分けられないよ」とある程度その切り替えがないことを認めている人もいるだろう。要は人それぞれ、そんなに単純に善悪で分けられることではないのだ。

二元論で物事を理解するのはとても楽である。であるけれど、人間は二元論ではなくて、よく分からない分けられない部分を大部分にしてできているのではないか。善か悪か、明か暗か、それでは割り切れないことを多く持っている。

トリノの街はそういう割り切れないものを含んだ街なのかも知れない。工業か否か、フランスかイタリアか、そこで割り切れない混じったものがある街ではないのか。そんな割り切れない街は何故か好きになることが多い。雨交じりの街も中々捨てたもんではない。

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コメント

ドイツ特派員様
これって紀行文ではなく、意味不明の文化論ではないでしょうか?

投稿: ysjournal | 2010年11月 2日 (火) 10時34分

ysjournalさん、

こういう所で分かって頂けて有難うございます。ま、この程度の文章ってあるよね、というお話でござります。帰国してから写真は紹介しようと思っているのですが、雨だとつらいですねえ。ただ、そんなに寒くはありませんでした。10度以上はありますから。

投稿: ドイツ特派員 | 2010年11月 2日 (火) 13時39分

ゆとりの文化、そしてFuki様の名が出てこない久々のブログ(笑)。
日本のガラパゴス文化がより一層強調されてる気がするが、だから故にFuki様なのだ〜!

…と代弁しておきます…。

投稿: フレ | 2010年11月 3日 (水) 01時48分

フレさん、

うわはは、確かに出てこないですねえ。ま、こういう思わせぶりで何も言っていない文章って書いてみたかったんですよ。「それって妄想じゃない?」みたいな奴。ただねえ、確かにPC動かしてる奴は少なかったんですね、若い奴でも。こっちはiPodでしたが。

投稿: ドイツ特派員 | 2010年11月 6日 (土) 19時28分

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