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2011年1月13日 (木)

就職が大変なのは何故なんだろう?

少し大学生の就職で思っていることを。

最近の報道なんかでも、就職の厳しさが伝わります。就職率が50%台なんていうのはどう考えても異常な状態なわけですね。

そんなこんなで気になったんで数字を調べて見たらこんなのが出てきました。

大学生世代人口

これを見ると大学在学生の数は、昭和六十年から現在では約100万人増えています。55%の増加。そりゃ考えたら同じだけの求人数なら厳しくなるのは当たり前ですね。しかも、更に厳しくいえば、この間に増加したのは恐らくは裾野の大学、言い切ってしまえば水準の低い大学だと思いますから、裾野の広がりは明らかに就職が厳しくなる層を増やしているでしょう。んでもって、こんな数字を見つけてきました。

学歴別就職者数

これから判るのは、大卒就職者数はこの20年は30-40万人の間で止まっている、ということ(下がった去年とバブル入社の89-90年で余り変わっていない)。逆に言えば寧ろ大学進学者が増えたことで就職率の低下が起こっている方が大きいだろう、ということ。今の日本での人口構成、仕事量から言えば、国内での仕事が減ってきているわけですから、その落差は更に大きいほうに推移するだろうな、と思います。「高齢な人を切れば良い」という議論もありますが、結局失業者を増やすだけでその社会保障を考えると何がいいのか判らなくなります。

(ちょっと余談ですが、よく「年寄りが若い奴に酷い働き方をさせている」って言うじゃないですか?その人たちってなんでもっと声を上げないのかな?そんなのは解雇権が出来たあとより、今の守られた状態の方が言いやすいはずなのに)

物凄く現実的なことでいえば、高卒就職者と大卒就職者が逆転しているところは、質においても「以前の高卒就職での要求→現在の裾野の大卒就職」ということになっているんじゃないかな、と思います。要は大卒のかなりな部分が以前の高卒がやっていた仕事での就職をすることになる、と。実際には高卒要求の仕事が正社員から派遣に写っていたり外国人労働者に取られていたりで、大卒以上に大変になっているわけですが。

ただこの現象って実は世界中で起こっているみたいですね。中国でも大学が乱立してしまい、就職できない連中が溢れている。ただ、まだ中国は全体の経済が拡大しているから日本よりは産業側に吸収力がある。アメリカなんかはトップ校への学費は余りに高いし、新卒の連中が自動的に就職戦線に行くわけじゃなく、結局単純労働に流れる大卒者はかなり多いようです。欧州は逆に大学がタダに近いから居座るし。

中国、就職氷河期に直面
アメリカ:何で1700万人もの人が大学へ?

結論としてですね、就職率の低下は別に企業が絞ったとか外国人を取るとかというのが主原因じゃなくて、

大学生が多くなった

という身も蓋も無いことじゃないかと思います。ここからは感覚ですが、恐らくトップ校の就職ってあまり変わっていないんじゃないかと思うんですよ。よく、「東大院卒でフリーター」みたいな記事が出ますが、そんな奴がうようよしているわけもなく、何時の時代でもある程度はいた連中じゃないかと踏んでいます。今の学生は確かに大変です、コレだけパイが少なくなって競争相手は増えるわけですから。

ただ、現状認識でこのことを言っていないのも不公平だろうな、という思いもあってつらつらと書いてみました。就職に関して思うことはあるのですがそれはまた別の機会に。

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コメント

ドイツ特派員さん
大学を出て就職したのは25年以上も前ですが、その初めての夏に、商品の配達をさせられた事があり、ネクタイ締めているのに汗だくになったことがあります。その当時既に「大卒のブルカラー化」が言われており、正にその通りと身にしみました。

私基本的に肉体労働系の体と頭と考え方をしているのですが、この体験が、最終的にはアメリカまで行って MBA を取得する大きな原動力になったのは間違いありません。(最近は、MBA さえもブルーカラー化している感じです)

どんな社会構造になっても、知的労働(定義が難しいので感覚的ですが)を行う人の割合は同じで、残りは所謂労働者です。

田舎の人がどんどん大学に行くようになった頃は、大学へ行けば「末は博士か大臣か」という感覚が根強くあり、未だにその幻想を人々が持っていると言う事ではないでしょうか。

「大学は出たけれど」とか「大卒ブルーカラー化」は既に25年前のボンヤリした私(今もあまり変わっていませんが)でも身をもって知っていたのに、今更と言う気がします。

投稿: YSjournal | 2011年1月13日 (木) 20時44分

ysjournalさん、

私が感じていたのは、「今だけが物凄く厳しいとかじゃないよね」ということなんです。それは、「お前ら甘いよ!」ということじゃなくて、「でも何とかなるよ」ということを言いたいわけなんです。結局大半の人たちは質量の上下はあっても普通に生活しているわけで、例えば話題になった派遣村やホームレスにしても、「生活できない」よりは「生活を放棄している」人の方が多いんじゃないか?という感覚がある。ある人が、「それなりに健康で生活する意思があれば、普通の生活ができるんじゃないか」という発言をしていたのですが正にそこで、ysjournalさん言うところの「知的労働」から少し幅を広げれば、今の氷河期の人たちも生活できるし、そこがあくまで開始時点だと思います。ここが幻想を振り切らなきゃならないところだと思います。

実感として言えば、じゃあデスクワークが知的労働か?例えばコンサルのような仕事が知的労働か?といえば全然違うんですね。今までセメント袋を運んでいたのがエクセルのカラムを運ぶのに変わったようなものかな?と。

投稿: ドイツ特派員 | 2011年1月15日 (土) 10時11分

ドイツ特派員さん
大卒だと収入レベルが均一でそれなりだった時代は平和でしたね。私の卒業した年の大卒新入社員の給料が一番高かった会社は、「京樽」(一度倒産してますが復活しているみたいですね)で月給16万5千円。私が就職した中小企業は13万5千円でした。

話が逸れましたが、確かに生活を放棄する人増えている様な気がします。

学歴は、あればなにかと便利ですが、必要条件でも充分条件でもない事が分からない当事者(学生)とその親が多いという事でしょうか?

私、時々、今でも何かの調子で高卒ですと嘘つく事あるのですが、本気で信じてくれる人がいる事が、自慢です。

投稿: ysjournal | 2011年1月15日 (土) 11時18分

ysjournalさん、

まあ確かに平和というか、何も考えていなくても大丈夫だったかもしれませんし、よくドラッカーが言う「選択肢の多さが選択を難しくする」という今の時代とは逆の時代だったのかも知れません。ちなみに私が入社した三年後に「初任給調整」なるものを貰いました。要はバブルで初任給が急騰、その前に入社した連中の定昇を初任給が追い抜いてしまったための緊急措置でした。

学歴への渇望は私の父親にありました。やはり金銭的に行けず、「もし行っていれば」という思いは今でもあるようです。母親は職人の方が偉い(父は大工です)と思っているようで、そういう学歴への思いはあまりないようですが。

生活の放棄については、そんなところを強調してどうなるんだろう?といつも思います。少し残酷なことを言えば、あそこにいる人たちのある一定率は、元々ちゃんとした生活が営めない人で、その人は助けるより別のことがあるんじゃないか、と思っています。

投稿: ドイツ特派員 | 2011年1月15日 (土) 21時23分

ドイツ特派員さん
段々、逸れて、昔話になっていきますが、私の父も戦後の動乱で地元の農業学校を中退しています。母は勉強が出来たようで進学したかった様ですが、こちらも結局は親の反対で行ってません。

父は、大学については思い入れはあまりないようでしたが、中退を悔しがっていたと叔父、叔母から聞いた事があります。母は子供に教育の夢を託していた節があります。

そこん所を上手く利用した私は、罰当たりな親不孝ものです。

大学は当たり前のように行きましたが、その後は、それなりに頑張って生きていくという延長線上で学んできた気がします。

投稿: ysjournal | 2011年1月16日 (日) 03時23分

ysjournalさん、

親の姿を見て、今の「やりがいのある仕事」とか「自分を見つける」とかということがどれほど恵まれてある意味呆けたことかを痛感します。ある人が、「仕事に収入以上のことを必要以上に期待しない」と言われていましたが、順番がおかしくなっているんでしょう。

ysjorunalさんとのやり取りで何かその辺りの底辺に共通点があるのでは、と勝手に思っております。

投稿: ドイツ特派員 | 2011年1月16日 (日) 17時20分

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