« ニールショーンはハードロッカーである:「Through the Fire」(HSAS) | トップページ | 地震、その後 »

2011年3月11日 (金)

地震でわかったこと

今日は有給休暇で自宅にいました。で、昼頃に外出して帰ってくると、

ゆらゆら

から、大きな横揺れとなった地震が来ました。

何故私が平日に自宅にいたのか、実は妻と息子が下宿選定に仙台に行っているため。そうです、今ちょうど二人が仙台に取り残されているわけです(一応受験が終わり、杜の都にある大学に進学が決まりました)。

最初の地震では震源地などはわかるわけは無かったのですが、テレビでみて「宮城」とあったときには本当に背筋が寒くなりました。で、メールで何とか無事が確認できているんですが、地震から10時間近く経った今でもまだ直接の会話は出来ません。

今回わかったことはこんなことでしょうか?

1.携帯電話は本当に使えなくなってしまう
2.連絡の手段としてインターネットは携帯電話より使える
3.震度4を超えると関東地区のガスは止まる
4.家具のつっかえ棒は有効な手段
5.交通機関は麻痺する前提でなくては駄目、下手に動かないほうがいい

1.は本当に繋がらなくなります。全くと言っていいほど駄目。2.は殆どストレスなく使えました。Twitterで結構な情報は取れました。3.についてはTwitterで判ったことなんですが、「ガス止められたか?」と思ったんですがそうではなく、シャットダウンするんですね。で、神奈川の場合、メーターの横にある復旧ボタンで元に戻します。4.は、確かに前のほうの本は落ちてきましたが、食器が入っているものなどは全然問題にならなかったです。5.について、特に子供の場合は学校で待機、というのは一番安全だと思います。

それにしても、このタイミングで何故家族が仙台での地震に遭遇したか、絶句することしきりではありますが、それほどの地震国である、ということを忘れていた私が居ます。恐らく東京では震度4程度だったと思いますが、その間にしたことはガスの火の元を確認したくらいですから、やはり慌てると駄目なんですね。

もう一度つっかえ棒を全て締めなおしました。早く連絡が取れないか、いらいらしながらも待っている状態です。

|

« ニールショーンはハードロッカーである:「Through the Fire」(HSAS) | トップページ | 地震、その後 »

コメント

とりあえず無事のご報告。
会社に泊まるつもりでしたが、試験休みで偶々東京に出てきていた娘の救出のため2時間掛け池袋まで行きました。その後4時間近く歩きましたが力尽き(途中睡魔に襲われ眠ってしまい凍死するところでした)今ネットカフェで休んでます。電車も動き始めたようなので、もう少し休んでから帰宅します。先に帰宅した家内の報告では家の被害はないとのことです。東京に生まれ育って46年ですが、こんな地震は初めてです。(;ω;)

投稿: hirosz | 2011年3月12日 (土) 08時38分

ご家族とは連絡取れましたか?
今ネットでニュースを見たら仙台も凄いことになっているようです。
記事をupしているということはご無事なんでしょうけど。

投稿: hirosz | 2011年3月12日 (土) 08時41分

hiroszさん、

まずはご無事で何よりです。相当な人が歩いていたようですね。私はたまたま家にいたのですが、あんな揺れは確かに初めてのことでした。しかしながらつっかえ棒を全部に入れていたのでそこの問題はなかったのが不幸中の幸いです。

投稿: ドイツ特派員 | 2011年3月12日 (土) 09時06分

hiroszさん、

先ほど公衆電話で連絡取れました。ただ、KDDIのケーブルが切断されているようで、電話はどうしようもないですね。あとはいつ帰れるか、待つしかありません。

投稿: ドイツ特派員 | 2011年3月12日 (土) 09時08分

ご家族が無事で良かったですね。
早く帰宅することを願っております。

投稿: hirosz | 2011年3月12日 (土) 09時14分

ご家族と連絡とれてよかったですね。

ニュースをみながらただただ心配してました。

東京の友達に送った携帯メールの返信が
センターにたまったままになってるのに
今朝気付いた我が家は、電話しか連絡手段を
持たないじじ&ばばと同じくらいアナログで
危機に弱いと実感しました。

投稿: ちえ茶 | 2011年3月12日 (土) 11時31分

心中お察しし、お見舞い申し上げます。
こんな時は成るようにしか成らないものなので、ご家族が心配だとは思いますが、ご自身が冷静になることが何より肝心です。
被災地の真っ只中でも、こんな時は何を使ってでも、どうにか移動できるものなんで、心配無用です。
人の底力って凄いです。
大阪でもかなり揺れ、弊社のビルも気分が悪くなるくらい長時間揺れ続けました。昨日は東京本社の連中もてんやわんやだったようです。
色々大変でしょうが、どうぞご自愛下さい。

投稿: elmar35 | 2011年3月12日 (土) 11時37分

hiroszさん、

有難う御座います。とりあえず三泊ほど仙台に延泊することになりました。私もそれを待ちたいと思います。

投稿: ドイツ特派員 | 2011年3月12日 (土) 12時20分

ちえ茶、

今回良くわかったのは、携帯電話の弱さですね。よく言われていましたけど、実感としては今回初めてです。暫く仙台と東京で待機生活ですね。

投稿: ドイツ特派員 | 2011年3月12日 (土) 12時22分

elmar35さん、

有難う御座います。横浜の自宅での揺れは本当に始めての経験で、これより酷い揺れだった宮城は想像が出来ません。

人間の凄さ、本当に感じます。こういうときでも(だからこそ)できるだけ平静に居ようとする人たちは本当に凄いと思います。

投稿: ドイツ特派員 | 2011年3月12日 (土) 12時25分

ドイツ特派員さん、ご家族含めご無事で何よりです。
こちらは通常に業務中だったのですが、強烈な恐怖でした。東京でこれほどでしたので、東北のひどさは想像つきません。ご連絡がとれるといいですね。

投稿: sorapapa | 2011年3月12日 (土) 14時35分

 特派員さん、奥様と息子さんのご無事何よりです。良かったです。大学合格もおめでとうございます。

 ずっとテレビを固唾をのんで見守っていますが、原発はどうやら最悪の事態は免れたようですね。

 私は昨日、会社から2時間半かけて歩いて帰りました。途中のコンビニは商品がすっからかん。携帯はずっとつながらず。電車が半日止まっただけでこのパニックですから、東京を直撃する地震があったら、と考えると背筋が寒くなりました。

投稿: しまうま | 2011年3月12日 (土) 21時06分

ご家族無事で何よりでした。

仙台にいる、銀行時代の先輩が心配です。
(これでも、銀行の窓口勤務してました)

私の家は、震度6弱でした。
ステレオが破壊されるとは思いませんでした。

怖かった…。震源地の人は、もっと怖かったでしょうね。流されて行く家屋を、なにか映画でも観る
気持ちで観ていたんでしょうね…。

娘は、命と同じくらい価値のあるものを肌身離さず
モッテいました。ギターと、うさぎです。

投稿: Tommy | 2011年3月12日 (土) 22時03分

sorapapaさん、

有難う御座います。何とか連絡も取れ、帰宅の途についています。

それにしても経験のない揺れ方でした。ということは、東北の揺れはいかばかりだったかとぞっとします。

投稿: ドイツ特派員 | 2011年3月13日 (日) 23時34分

しまうまさん、有難う御座います。

ほんと、これが東京直撃だとまた別の問題ですね。しかし、津波というのがああいう風に街を飲み込んでいくのは初めて理解しました。あと、原発はまだ予断を許さないようですね。

今回もう一つわかったのは、テレビで情報を取るにはNHKが一番良い、ということ。他の局は押しなべて駄目だと思います。

投稿: ドイツ特派員 | 2011年3月13日 (日) 23時37分

Tommyさん、

我が家の震度ははっきりわかりません。本はかなり落ちましたが、CD関係は棚に入れていないので、何ら損害はありませんでした。壁に掛けているギターも問題なく、その点では被害ゼロと言って良いと思います。うちの次男も言いましたよ、「お父さん、僕のギター大丈夫?」って。

被災地の恐さたるや、私には想像できません。

投稿: ドイツ特派員 | 2011年3月13日 (日) 23時38分

この記事へのコメントは終了しました。

トラックバック


この記事へのトラックバック一覧です: 地震でわかったこと:

« ニールショーンはハードロッカーである:「Through the Fire」(HSAS) | トップページ | 地震、その後 »