バンド仲間との思い出
ノスタルジーに浸った雑文ですのであしからず。
この連休で音源作業を中心にやっているわけですが、その間を縫って昨日、高校時代の同級生に会って参りました。この同級生、高校を出てから全くお互い音信不通だったんですが、Mixiで何を間違えたか素顔&本名で登場するという如何にも「漢」な再会があり(笑、その後そこは修正)、「ちょっとお茶でもしようや」ということに。
上にリンクを張った記事でも触れていますが、彼とは高校時代にバンドを組んでいて、ヘタレな私を厳しく指導していたんですね。その後その筋ではかなり有名なバンドに加入したり、結構知られたアイドルとユニット組んだりとプロとして進んだ彼ですから、そりゃこっちのギターなんぞはもう聴くに耐えなかったんじゃないか、とも思います。実際に「俺はプロになりたい!」ということをよく聞いたし、高校生から見てもその音楽への造詣や楽器の上手さは抜きん出ていた。エレキがまだ禁止だった高校なんですが、「ならベースだったら文句ないよね」と言ってベースにファズぶち込んでやってみたり、と音楽で遊ぶことが出来る友人でしたね。
何で彼とバンドを組もうとしたかはよく覚えていないんですが、私は確か音楽室にあったガットギターでクリームかなんかを弾いていたんだと思います。そうしたら彼が「バンドに入るか?」というような話になったかと。ただ、オーディションじゃないんだけど試し弾きみたいなことがあって、「ま、コイツなら何とかなるだろうな」と思ったかどうか、そのまま加入、という流れだったように記憶しています(彼は、「少なくともお前のギターは凄く上手いと思っていた」と言ってくれましたが、何かの記憶違いの可能性大ww)。
ところがやろうとしたのがYesの「Roundabout」だったりTotoの「St.George & the Dragon」だったりStyxの「Paradise Theater」だったりするわけで、「ゲイリームーア最高!ツェッペリンすげー!」とか言っている私にはそりゃ未知の世界。まあRainbowやMSGもやったんですが、彼はそこに留まってない広さがあって。しかも今でもよく覚えているんですが、ユニゾンチョーキングの音が中々合わずに、「そんなフレーズは隣の高校の連中だってちゃんとやってるよ。ちゃんと合わせてくれよ!」と言われるのを筆頭に、「これ駄目」「あれ駄目」と厳しい。もしかすると当時からプロデューサー的な目線で見ていたのかもしれませんが、特に「ここはちゃんとしなきゃ」というツボが絶妙でした。
今日も話していて「不思議だね」と言っていたことは、普通同級生に「それじゃ駄目だよ!」とか「もっとちゃんと弾けよ!」みたいなことを言われたらブチ切れちゃうと思うんですが、彼に関しては私の方が物凄く素直に受け入れてたんですね。彼自身そんなことを言った記憶がないということは、私が全然怒ったりしていなかったということだと思うんですよ。実際に彼に頭に来たりしたことはなかったし、結構ウマが合っていたと思います。今日話してもやはり非常に音楽の間口が広いし、それなりにこちらが音楽に広く接するようになったかもしれませんが、全然追いつかないなあ、と思います。いや、それはプロだアマだということとは別の音楽に対する姿勢としてですが。今日なんかもずーっと音楽の話しかしてないし、やはりその視点って刺激になる。
本当に痛感したんですが、自分が音楽に触れた初期に彼のような「音楽への自由さ」を持った人と出会えたのは幸運だったな、と思います。もしそうじゃなければ「HR/HMはかくあるべし!」みたいな凝り固まった人間になっていたかもしれないし、「いいものはジャンルがないんだ」ということを教えてくれた気がします。大学で何をトチ狂ったかクラシックギター部に入ったのも、明らかに「幅を広げたい」という彼からの影響がありましたね。
実は最近、「音楽の自由さ」がどんどん減退しているんじゃないかと思っているんです。嫌いな音楽はあるんだけど、それを好きな人もいるわけだし、少しでもジャンルの典型を離れると評価の対象にならなかったり。そんな音楽って窮屈なもんじゃない。別に音楽に限ったことじゃないんですが、自縄自縛になっていることが多いんじゃないかな、と思う。ちょっと横を覗けば面白いことがあるかもしれない。
自分はもう先が長くない(笑)から、面白い音楽・自分の琴線に触れた音楽にはどんどん踏み入れようと思います。ま、ちょっと今は偏っているかもしれないけれど(爆)。
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