ギターは辞めない
最近のデジタル回りの進化というのは凄くて、以前だったらプロユースのものがあっさりアマチュアで出来たりします。それに合わせて、プロの実態というのもかなり判ってきたりしていますね。
その点では、私を含め、やはりYouTubeで実際のギタープレーを見ることが出来るというのは大きいし、更にそれを動画アップしているアマチュアの人のプレーを見ることができるのも物凄いことです、考えて見れば。
で、実は凄く悩んでたんですね、自分の下手さを。マジに「もうギター辞めようかな?」とも。
Twitterのフォロワーの方のプレーを実際に見たり動画で見たりすると、もう本当に嫌。自分もたまに音源を上げたりするんですが、その差たるや悲しいほど遠く、恐らく2万光年は離れているかと。
確かに効率的な練習というのはあると思うんですが、やはりこれからやり直していくとマルコムグラッドウエルが言う所の「一万時間」を掛けて最初から、になるのは目に見えている。それも時間を掛けてもそういう上級者になれる保障もなく、たとえば一日2時間やったとして、5000日掛かるわけですよ。15年くらい?
無理だよね
という結論。ましてやプロのプレーを聞いたりすれば、自分が楽器をいじることの意味の無さを強烈に感じるんですよ。
で、結構このところイジイジしていたんですが、ふと思ったんですね。
でも、オレにはオレのギター表現ってあるんじゃないか?
マンネリで下手くそで理論も知らずなんですが、少なくとも「ロック魂」は自分であると思う。上手い人にも当然あるんですが、自分の表現は違う方向であるんじゃないか?と。ジャズが出来る訳でもない、クラシックもしらない、ロックでも上手い表現はできない、でも、それでも何かを表すことは出来るんじゃないか?自分を出せば良いんじゃないか?
という感情ですかね?
言っておくと上手い人に近づきたい、という思いは常にあるし、上手くもなりたい。ただ、自分の時間も技量も有限なわけで、その上で仕事もあるし他にやりたいこともある。そんなことがいえる贅沢の上での話しだというのは重々承知の上で、思い立ったわけですな。
と、下手っぴいな素人が思い立っても世の中は一ミリも動かないんですが、やっぱりギター弾きたいんですよ。
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