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2011年9月23日 (金)

私たちは3月11日から何を学んだのだろう?

一昨日の台風ですが、特に都心は大変でしたね。帰宅難民になる方もかなりいらっしゃったようです。

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そのときの渋谷の様子。

私は自分で勝手に会社から帰宅、特に何ら問題にはなりませんでした。

でも、この大混乱は仕方なかったのでしょうか?


昨日も定例で行なっている飲み会で話題になったのですが、

1.無理に出社しなくて良い人が出社していたのではないか?
2.頃合を見て帰宅できなかったのか?
3.何故無理に帰宅しようとするのか?

ということを考えて居ました。

例えば1.に関して、3月11日の大地震後に自宅でもかなり仕事はこなせるというのがわかった筈なんです。なのにやはり多くの人はとりあえず会社に行ったと思います。私の事務所に一人相談役みたいな爺さんが居るんですが、無理に来なくて良いのに出社してるんですよね。ちなみに私が出社したのは、前日にPCのセットアップがあって(アメリカからの遠隔操作)会社に置いていたから。それが無ければ出社してないな。
また、2.に関しては、どうしても他の人や取引先の様子を見て動く、ということはあったかもしれない。じゃあお前は見なかったのか、と言われれば全く見なかった(笑)。雨が降り出す前に動く、と決めていたんで。でもやはり自分だけ、というのは余り気分のいいものじゃないですからねえ。ちなみにくだんの相談役、会社に居て帰宅に5時間くらい掛かったらしい。もうアホだな。
3.は、どうしてかな?と思いますね。だって電車も止まってる、でも台風がある程度通過するのはわかってる、であればどこかの建物に居て待つ、というのが普通だと思います。確かにお子様が居て帰らなければならない方とか、事情のある方はいると思うんですが、あれだけの溢れるような人みんなに事情があるとも思えない。それで駅で、「お前ら電車動かせ!」という罵声を飛ばした奴も居るらしい。何を考えているんだか。

3月11日の地震と決定的に違うのは、台風が来るのは判っていた、ということ。しかも規模もある程度わかっていたわけですよ。

やっぱり日本というのが会社社会なんだな、と思うのがこういう時ですね。何となく会社に行かなきゃ、という強迫観念があるんだと思います。だから、個々の人たちが真面目にそれに従うんですね。いや、元々会社というのはどの国だってある程度強制装置のような役目を担っていると思うんですが、あれだけの震災をたった半年前に経験し、その時に何があったかを身を持って判っている人たちがかなりの数同様のことを繰り返してしまう、そこにものすごい得体の知れないものを感じてしまいます。

問題は、そうやって不要不急の人が溢れることで、動かなければならない人たちの移動手段や空間をなくしてしまうこと。仕事でもPCとかで出来ない仕事をしていらっしゃる方とか個人商店とか、必要な方が動けなくなってしまう。今回は幸いにして大きな人的被害は無かったですけど、そういうことを考えなきゃいけないんじゃないかと思います。

「合成の誤謬」という言葉があります。個々の判断は正解なんだけれど、それが集団になると誤った判断となってしまう現象ですが、少しこれに似ている気がしますね。個人は真面目で誠実な行動を取っているんだけど、それが集団になると大きな問題になってしまう。

だとすれば、上に書いた1-3のことを会社で強制するしかないでしょうね。単純な話で、「不要不急は出社するな」「これから直ぐに帰宅しろ」「既に危ないから会社なり建物で待機しろ」という命令を所属団体が出すようにする。多分それが一番安心できるでしょうね。実際に台湾とかでは地方がそういう強制力を出して出社制限を行ないます。ただ、もう少し個人の判断で決めて良いんじゃないか、という思いはあります。それを咎める奴が居るのが馬鹿なんでしょうけど。上に書いたような上の世代は、「こんな大変なときに会社に来てるんだぞ」という何かマゾヒスティックな自慢の雰囲気を感じるんですね。そんなことが何ら会社の利益貢献には繋がらないんですけど、そうすることが良い事だ、というような無用な行動。その元気は本当に必要な時に取っておこうよ、と思いますねえ。

もっともっと個人に判断をゆだねましょうよ。会社なんて最後何にも守ってくれないし。で、必要な人に不便にならないようにしましょうよ。


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