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2011年11月 3日 (木)

日本サッカーが届かなかった、そして届いた頃

実はFacebookのとある人たち(含む私)で、

「お前は誰なんだ」企画

というのが局地的に発生してまして、要は自分の昔の写真をアップして「全然わかんねえよ!」と突っ込みを入れる、という馬鹿馬鹿しくも面白い企画なんですが、それで昔の写真を見つけようと押入れを漁っていると、こんなのが出てきました。

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もう18年前か、ドーハの悲劇は。

別に日本リーグを見ていたわけじゃないですが、ずっとW杯は見ていて、1978年のマリオケンペス、1982年のパウロロッシにドイツ対フランスの死闘、1986年のぶち抜きマラドーナ、1990年のオランダのミラントリオやドイツ代表と夫々に記憶はあったんですが、それは日本とは関係がないと思っていた頃。ところがこの年にJリーグが出来て、世界のスターが(峠は越えていたが)どんどん日本に来て、一気にサッカーが身近になった。で、今まで全く見もしなかったアジア予選(あ、木村和司のFKで有名な韓国戦は見てたと思う)が一躍注目され、その上日本代表が勝ちあがっていったわけです。

多分、私くらいの年代にとっては、いくらその後に16強に入ろうとも、いくら今の方が技術的に上回ろうとも、この時の日本代表が一番好きだ、という人が多いんじゃないかな、と思う。この予選の前にアジアアフリカ選手権をやって、コートジボアールに勝って、しかもそこからカズのアニキのヤスが入ってきて、あのセルジオ越後をして「やっと本物のDFが来た」と言わしめたわけで。まあ実情は都並のバックアップが居なかったということかも知れませんが。

もうこの予選自体が一つのドラマといってもいいくらいですね。サウジ戦で見せたゴン中山のタッチラインギリギリスライディング→角度無しゴール→ボール取ってセンターサークルへ、は今でも直ぐに浮かぶ。あとはこのイラン戦での健太バー直撃→カズヘッド押し込みとか、何故かいくつも思い出せるんだよなあ。

でも、いけなかったW杯。BSで解説していた岡田武史が絶句して何も言えなかったのをよく覚えています。

で、それから4年後、やっと、やっと日本がW杯に届いた日。

もう殆ど駄目な予選から何とかプレーオフまで持ち込んだものの、イランの英雄アリダエイに苦しめられ、あまりの重圧に全然チャンスを決められない岡野、結局最後は中田のミドルのはじきを「そりゃ俺でも押し込めるぞ」くらいなところで押しこんでゴールデンゴールでの決定。ドイツでテレビ見てて(別に日本人向けじゃなくて、ドイツに多く居るイラン人向けだと思う)マジで叫びましたね。

今でこそ当たり前に近くなったW杯出場ですけど、今よりもっともっと距離が長く、それでもそこが見えた頃です。

皆さん、その頃は何をやっていましたか?

この二人、金子さんと山本さんは本当のプロだな。二つ目の4:50の言葉、今でも涙腺が緩むなあ。

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コメント

たまらん。。
何がたまらんて、静まり返ったスタジオ。
釜本のとなりにいるのは、レッズの父と呼ばれた故・森孝慈初代監督。その隣で泣いているは浦和を駄目にした奴じゃないか!!

とはいえ、このときの代表ユニは今でも代表戦で着て行くとけっこう目立つんですよね。。

投稿: savilerow | 2011年11月 5日 (土) 20時16分

Savilerowさん、大変な中お越し頂きありがとう御座います。

確かにこの並びは中々に香ばしいものがありますな。このときは確かフランスもブルガリアにロスタイムで負けたんですよね。

ホント、長いような短いような日々ですね。

投稿: ドイツ特派員 | 2011年11月 6日 (日) 10時37分

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