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2012年2月 2日 (木)

居心地の悪さを感じる記事

(言い訳すると、凄く直情的に書いてますから、まだ理屈が成り立っていないところも結構あるんですがお許しを)

最近、やたらと「専門性」「グローバル」という単語を目にするようになったと思います。例えば、

ウェブが変革をもたらした新しい世界では ゼネラリストはいらず専門家だけが生き残る

『平均的な労働者』はどん底に落ちる

確かにトーマスフリードマンが言う「フラット化する社会」の縮図なのかも知れません。

でも、何か釈然としない。本当か?本当にそうか?

単純に疑問で言えば、「そんなに皆が凄く出来るようになるのか?」ということ。そんな書き方に見えてしまうんですよ。例えばグローバル化という単語でもそうなんですが、皆が皆語学が出来るようになるわけじゃない。出来てきた人は簡単に「英語は出来て当然」「海外の専門知識は持たないと」と言っちゃうんですが、どうしても一定以上に出来ない人というのはいる。「努力すればいい」と言いますが、時間が平等な以上、やっと語学ができました、10年それだけやってきました、だともう他の事は全く分からないということにもなる。ところが出来る人というのは、短い時間で色々なことが出来てしまうし、自分が出来てしまうことは他人も出来ると思ったり、回りがそういう人に囲まれているから、「出来ない」ということが皮膚感覚で判らない。自分の恥を言えば、本当に外国語が苦手(というか大嫌い)で、いつまで経っても上達しない。多分ネイティブには影で笑われてるな、何でこんな単語が覚えられない?何故未だにちゃんと発音できない?という劣等感の塊。それは出来る人には永遠に分からないだろうな、と思います。だから、できる人の意見を見て、「よし!」と思うより、「そんなのは無理・・・」と思う人の方が多いんじゃないか、と想像します。自分はそちら側の人間だと思うから。

彼らの言う専門性がどの程度か分かりませんが、一つの例として、世界でも有数の自動車模型ビルダーは、模型作りの修行で10年掛けたそうです。一年目は塗装だけ、二年目は板金だけ、三年目は造形・・・というようにしたそうです。その間は以前やった仕事も辞めてそれだけに集中した、と。そこまでではないにしても、専門性は身につけよ、コミュニケーション能力も、語学も、仕事も、となってできる人ってどの程度いるのか?と。そんなスーパーな人じゃないと生き残れないのか?

物凄く正直に言えば、もしそういう尖がった人しか生き残れない社会なら、北朝鮮と何が変わるのかな?と思う。そりゃ収入の高低は能力の高低に連動する部分があっても良いでしょう。でも、その中でも低い人はどん底に落ちる、というのであれば、そんな社会に生まれるのはあまりに意味がないし、生まれなきゃいい、と思う人がいてもおかしくないでしょうね。

そりゃ以前ほどの生活は厳しいのかもしれないけど、普通にこつこつやる人を「どん底に落ちる」などという人とは友達になれない。そういう人がそれなりに普通に報われる社会を考えるべきで、「俺はもう関係ないよね」と高みから言うのはちょっと許せない。繰り返しますけど、そんなにやったからと言って専門性だのが簡単に身に付くわけじゃないし、みんなが身につけた専門性はすでに汎用化しているかもしれない。

結論があるわけじゃないんですが、何か物凄くイライラする言説に文句を言いたくなってしまったわけです。

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