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2012年7月28日 (土)

「グローバルエリートの時代」を読みながらだらだらと考えた

中国から帰国しました。今回も中国からの帰国便がまた一時間以上遅れてしまい、帰宅は深夜。しかしいつも中国は疲れます。

今回、丁度いい機会なのでこんな本を読んでいました。

ま、私はエリートじゃないんですがね(苦笑)。

この本では、結局国境なり国家なりの枠を超えて企業活動をするために、いかにローカルなこととグローバルなことを上手く混ぜていくか、更に言えば、会社組織が国籍を薄くする中で、如何に意味のある位置で働くようにするか、ということを書いている、と私は理解しました。「意味がある」という意味はいろいろありますが、少なくとも「外資系で働いている」というのが日本支社だったりするだけでは意味がなく、ある以上の意思決定にかかわるところにいなければならず、そのためにどういう技術・能力が必要なのか、ということを説明しています。

内容それ自体はそれほど難しいことはありません。文章も平易だし(少し「~ではないだろうか」「思われる」がくどいけど)、特にカタカナ言葉が多いということもありません。割とさらりと読める本だと思います。

事例として、GE・コマツ・JT・Samsungが挙げられていて、それぞれに成功している枠組みがどういうものなのか、を説明しているわけですが、それ自身は以前からかなり言われていることであり(JTはよく知らなかったんですが)、それを一冊の中にまとめてくれたというわかりやすさがあります。で、実は私はそれを改めて読んで別のことを考えていて、それは

という割と知られた成功例があるのに、何故その他でなかなか成功しないのだろうか?

ということなんですね。たとえばJTがRJRを買収したところで成功要因で語られている「意思決定の早さ」というのは、みんな当たり前のようにわかってはずです。では、何が阻害要因となって意思決定が早くできないのか?というのがどうしてもわからない。GEで言われているグローバルな決定組織にしても、どうしてそれができないのか?ということが分からない。実はそうやっている「遅い決定」「グローバルにしない組織」というのが何か最適要因になっているものがあるんじゃないか?と思ったり。やはり法則のようなものがあるのか?と言われれば、実はないんじゃないか?という気もします。変な話、意思決定が遅かったがために残存者利益に結果としてなり大きな事業になった、なんて言うことも枚挙に暇はないわけで。

もう少し言うと、GEやSamsungの組織としては本当に洗練された組織なんだと思うのですが、そこで働く個人としては、成功する人と生き残れない人の差たるや、まさに格差の増大になる生活なわけで、Samsungなどはまったく「私」の生活を捨てないと生き残れない組織になっています(これは実際に業界では相当な常識になっています)。

ここで書かれている「グローバルエリート」ということについては、やはり相当高い要求で、日本人のみならず世界でもこれを満たすことができるためにはほぼ全ての生活をビジネスに集中させる必要があろうと思います。多分凡人なら家庭を持つことも厳しいくらいの時間をかけないと無理だろうし。英語ひとつとっても、できる人は軽いんですが、例えば単語一つを定着して覚えるために一カ月近くかかる私のような人間には、英語だけでこの人生が終わる気がします。ただ、能力のある人はやはりこういう方向に進んでほしいし、進むのではないかな?と思うんですよ。こうやって私のような何の能力もない人をそれこそ食わせて欲しいわけで。書かれている8つの能力(感受性・理解力・柔軟性・オーナーシップ・構築力・解決思考・説明力・粘り)全てに欠けていて、更に英語がとてもできるとは言えない自分を見ると、そのあまりの差に茫然としてしまいます。何から手をつけましょうかね?

で、ここからまた全然別のことを考えていて、それは最近のSNSの発達が影響しているであろう「純粋評価の難しさ」ということ。何が言いたいかというと、やはり人が評価をする場合、出てきた作品だけで評価はできず、その周辺の情報でどうしてもバイアスがかかってしまう、ということです。この本のAmazon書評(実はこの書評は結構好き)でもそうなんですが、著者の経歴やそれまでのブログなどの活動を著書の評価に結び付けています。私自身は、「それは少し違うんじゃない?」という想いがあるのですが、もしかすると今はそういう付帯情報もひっくるめて評価すべき時代になっているのかな?と考え方がまとまらないところがあります。確かに略歴を見るとそりゃ凄い経歴で、ほとんどの人はかすりもしないような能力だと思うんです。ただ、それをあまりに著作にひっかけて評価するのはやっぱり違うんじゃないかな?ただ、その経歴やブログなどの活動があったから著作に結びついたこともあるだろうわけで。

まあ、現実には能力があろうとなかろうと私は家族を養う必要があるし、そこで一生懸命生きていくしかない、という身も蓋もない結論なんですが、その中でもできることはあるのかな?と日々模索しているわけです。ということをヒントにすることも含め、この本を読んで損はないと思いますよ。息子に読ませてみようとは思います(読むかどうかは知らんw)。

あ、とりあえずPC修理しなきゃ(涙)。

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コメント

『グローバルエリート』なんて言葉に踊らされてはいけませんよねえ。

投稿: 羊男 | 2012年9月13日 (木) 21時46分

羊男様、有難うございます。

やはり個人の資質だと思うんです。ある人はそれに向かって頑張るのが良いと思いますし、皆がそれに向かう必要はないんだろうな、と思います。

投稿: ドイツ特派員 | 2012年9月17日 (月) 17時46分

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