香港で改めて「働く」ことを見た
香港で他の中華系の大都市と凄くちがうのは、お年寄りの姿が多いことかと思っています。で、まだ色んな形で働いている所に出くわすんですよ。これはさっき香港在住の方ともやり取りしていて、実際にそのようですね。
で、少し考えました。
最近、「働く」ってことを目にすることが少なくなりました。私自身、働いている姿などは自分の会社の人と相手先しか知らないわけです。でも、まだ昔はそういう姿を見ることはかなりあったんですね。私は大工の倅で、親戚一同そんなに学歴のある人はいなくて、親父は夜間高校、お袋は中学卒。でも(だからか)、とにかく色んな形で「働く」所に居合わせたのはとても幸運だったと思います。親父の現場にも行ったし、親戚の店でそれを見ながら留守番したり。重松清の小説に「とんび」というのがありますが、その方言も含めて正に私の環境はそのものでした。
で、最近それとは別に、色々なところで日本人の働き方を批判する言説に出くわします。グローバリズム・効率化・ワークライフバランス・残業ゼロ...。判るんですけど、何かそこに釈然としないものもある。そんなに「悪いこと」してたんですかね?大体後から「こうなるのは判っていた」とか、したり顔で言われても、「じゃあお前その中でよくするために働けよ!外野からがちゃがちゃ言ってるだけじゃねえか?」という怒りしかない。
以前日本板硝子の社長に就任したイギリス人が「私は日本人のようには働けない、家族が大事だしその時間を削れない」といって辞任したことがありました。そのときも結構「それって正論だよね」という意見を多く見ました。いや、判るんだけど何か釈然としない。家族が第一義なのはわかるんだけど、そこには「日本の労働は家族を蝕む悪」のような画一感を感じたんですよ。
言っておくと、私は色んな形で喧伝されるブラック企業などは追放すべしくらいに思っています。ふざけるな、と思う。でも、そういう強制じゃなくて、自ら懸命に実直に労働していることまで「無駄な長時間」という言葉で切り捨てるのは違うと思う。で、そんなにべったりしていないと維持できない家族なんてそれも何か違う気がする。そりゃ頭のいい人はその辺を上手く短い時間でやるんでしょうし、長時間かけている人が馬鹿に見えてしょうがないと思う。でも、みんながスーパーマンじゃないし、そうせざるを得ない人が居ることも少しは認めないと。正直、理屈ばっかり言ってる頭のいい奴が、現場(それはホワイトカラーであれブルーカラーであれ)の人のいかほどの価値もあるとは思えない。その程度の自信はこちらにもあります、一寸の虫にも五分の魂というかね。
というのは前も書いたんですが(笑)、そういう悪感情って実は
「働くところが見えない」
という所にあるんじゃないか、と思うんですね。例えば堀江貴文氏が捕まったときに、「額に汗することを軽んじた結果だ」みたいなことを正に「額に汗していない」と分類されるであろう人たちがしたり顔で語っていましたが、例えばもし親父がひいこら言いながらデスクワークを真剣にやっている所見たり、暑い中寒い中お客さんのところで価格交渉する所を見たりすればまた変わるんじゃないかな?と思う。それも立派に「汗して働く貴重なことだ」という認識になるんじゃないかな?その点で「働くって大変だなあ」と言うことをほんの少しでも実体験できた私は幸運だと思う。
だから、働いていることについては、実際に見せられないのならば、出来るだけ話したり伝えたりしたほうがいいんじゃないか、って思うんです、最近。自分自身もそんなに話してこなかったし、中々に照れ臭いこともあるんだけど、それでも契約が取れて嬉しい、とか、会社の運用が上手く行った、とか、いろんなことがあるはずで。だから、こういう写真とか文章でも「働くこと」というのを少しでも残していけば、後に続く人たちも少しは違った見方、自分探しとかということじゃなくて、純粋に働くことを考えるんじゃないか、と思うんです。
これから気にしていきたいことだと思っています。
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