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2012年11月 1日 (木)

終活かあ

実は偶然なんですが、私の前の会社での最後の上司のブログを見付けました。この上司、多分私が色んな上司と仕事した中では一番「一緒に仕事をした」という方だと思います。関係も凄く良かったし、お互いに認め合っていたと私は信じてます。で、ブログは非常に内容もある、ある種哲学的なもので、私などはとても書けない内容です。まあ、今でもたまに会うとアホな話しかしないんですけどね。

で、ちょっとメールして「いやあ、見つけちゃいましたよ」って連絡したんですよ。

ご本人曰く、

「これは誰かに読んでもらおうというのではなくて、自分の自己満足のために書いていて、でももし自分が死んだら家族に『こんなことを考えていた』っていうのが伝えられたらいいと思って残している」
ということらしいです。で、その中で出た単語が
終活
という言葉。自分の人生が終わりに近付くことでの整理ということでしょう。でもその方まだ60歳になったばかりで、更に見た目はとてもそうは思えないくらい若い。ただ、定年延長に入るようで、その意味ではある社会人生活の終わり、というのは事実ですね。
私自身、自分が社会人を始めたころにこの方世代が丁度課長代理くらいの実戦バリバリだったわけで、その人たちが引退の時期を迎えていることに感慨を感じます。と同時に、もう自分もあっという間にその時期に来るのだろう、ということを考えるのも何と言うか恐怖というか、ありますね。
自分は何が残せるんだろう?いや、何も残らないとすれば、負のものを残さないように何が出来るんだろう?
何だろう、この年でこの状況なら、さして世に知られることもなく、それほどの役に立つことも無く、誰かに大きく影響を与えることもなく、静かに世から居なくなるだろうと思います。それはみんな思ってることだとは思うんですが、もう平均寿命を考えると残りの方が少なくなってくれば、嫌が応でも意識せざるをえない。でも、そんな中でも少しでもあがいて何か傷ぐらいは付けたい、と思う気持ちもある。私の上司が「それでも残したい」という気持ち、痛いほどわかります。それが判るという意味では、自分自身がそういう時期に来たのかもしれません。まだまだ前を向いていたいというのとは全然別にね。
言ってしまえば生まれたら少なくとも死ぬという一方向でしか時間は動かないわけで、これはどうしようもない。それを少しでも意味のあるものにしたいな、という思いはずっとあるわけでしてね。それはどういう形で残るのか、残すのか?なんてことをグダグダと考えてしまう黄昏時の初老なんですなあ。

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コメント

身に染みます。

投稿: ysjournal | 2012年11月 2日 (金) 15時14分

ysさん、

私も色々と考えますね。自分が会社員を始めたときに「物凄い年寄り」と思っていた年齢になって、そのギャップと残された時間に愕然とします。

投稿: ドイツ特派員 | 2012年11月 4日 (日) 20時59分

どの道俺は道半ばに命燃やし尽くす
その日まで咲きつづける 花となれ。

エレファントカシマシのシグナルって曲です

投稿: ダダ | 2012年11月12日 (月) 08時14分

ダダさん、ようこそいらっしゃいました。有難うございます。

そうですね、どんな人生も終わりがある、そのときまでは走ることが大切だと思います。

投稿: ドイツ特派員 | 2012年11月17日 (土) 19時51分

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