歌舞伎役者の裏話に触れて
どうも年末にかけていくつかプロジェクトが会社で出来ていて、その仕事がダラダラとこちらにやってきております。
何でたかがローカル社員の私がやるんだ?
というわけで、年末の休みも仕事になりそうな予感。いや、どうせ同じようなことはやらなきゃならないんですけどね。
などという愚にも付かないことを先日ある人と話しながら、歌舞伎役者の死去に絡めた色々な話を耳にして、いろいろなことを考えていました。ま、違う意見があるのは重々承知で。更に、歌舞伎などには全然興味がないということも事実なんですけどね。
彼に限りませんが、プロと言われる人は「自分が何で生かされているのか?」と言うことを意識していたのではないか、と思うんですよ。どんな役者であろうが、それを応援する人無しでは成り立たない。その応援を少しでも増やしたいし、それによって自分の分野も広げたい、という意識が強かったんだと思うんですよ。そこには恐らく伝統芸能に対する危機感もあったのではないか、と思います。どうも勘違いしている人も居るらしく、何故かファンに居丈高に接する芸能関係者もいるらしいですが、本当の一流はそんなところで自分を大きく見せる必要がないんですね。
で、その活動については、芸能への危機感以上に、もっと純粋に「とにかく自分の仕事を何処でもやりたい」ということでしょうね。そりゃギャラとか舞台装置とか付帯することはあったでしょうが、小さかろうが大きかろうが自分のやることをやり、場所に限らず全力でやる、ということ。というか、場所でその力を加減するなんてことは考えてもいないのではないでしょうか?
更に言えば、「現役として挑戦し続けること」の大事さ。最近色んなバンドがリバイバル的に来日したり再結成したりしているんですが、どうも食指が動かない。何でかなあ?と思ったら、それは「焼き直し」だからなんですよ。新しいものを生み出そうとしない自己コピーみたいなのはどうしても否定的になってしまう。いや、そこでプロの技を見せる、とか知らなかった若い世代に伝える、ということは一つの芸として成り立つとは思うんですけど、それだけではちょっと詰まらない。
もうちょっと下世話に言えばこれって、中高年の昔話で盛り上がるパターンと同じだと思うんですよ。「あの時の仕事はねえ」という話が延々繰り返される。いや、もう引退した方々への敬老の意としての話なら良いと思う。でも、まだ現役なのに考え方も仕事も「俺も昔は中々やったんだよな」ばかりというのは私は耐えられない。しかも全部自分でやったかのごとき自慢話で、肝心なことは伝えない(伝える術がない、とも言いますが)。
助力を意識すること
環境にこだわらないこと
少しでも今よりよく継続すること
来年の目標を考えていてこういうことを含まなきゃなあ、とちょっといい子になってみたんですが、でもそういう態度って本当に大事だと思っていて、とにかく少しでもそこに向かわなきゃなあ、と決意を新たにしようとしている準備をする前段階w。
こんな適当な羅列からこれからの自分を考えようとしているので、まだまだ振幅はありますが、とにかく切っ掛けとして始めています。多分この話はいずれ続きます。
いずれね(笑)。
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コメント
私はサッカーについて詳しくありませんが、(三浦)カズは「現役」「挑戦」「環境に関係なく自分らしく」と正にそんな感じで、凄いなぁと思います。
じゃあ自分はどうなんだって話ですが、まぁそれはソレ(笑)。色々と「継続」はしていきたいな、とは思いますけどね。
投稿: ヒゲ・スカイウォーカー | 2012年12月 8日 (土) 23時20分
本物にしか宿らない小さな命の灯火に気づくことが出来る人でないと、それぞれの世界で一流とは成り得ないのではと思うこの頃です。なにやら難しい言い回しですが、、要はそこに気づくかどうか、自身の中にある小さい芯を絶えず消すことなく持ち続ける事。それが自分にはなんであるのかまだまだ見えない未熟者です。
投稿: savilerow | 2012年12月 9日 (日) 04時17分
ヒゲ・スカイウォーカーさん、
我々で一番出来ることは「継続」だと思うんです。それが出来れば色々なことが少しずつでも前進させられるのでは、と感じます。
投稿: ドイツ特派員 | 2012年12月11日 (火) 21時14分
savilerowさん、
私もまだ自分が何者であるのか、何で貢献できるのか判らずにいます。気付いてないだけなのか、元よりないのか、それでも少しずつでも前進したいですね。
投稿: ドイツ特派員 | 2012年12月11日 (火) 21時15分