危機や恐怖心は成長にしなきゃ
このブログを継続的に読んでいただいている世界でも極々少数派の方(笑)はもしかしたら気付いているかも知れませんが、どうも最近は自分を取巻く環境の不安定さから自身の思想も非常に明るさの無いものになってます。
でも、考えてみたらこういう「危機感」や「恐怖心」というのはとても重要な意識付けだとも思うんですよ。そうやってどうするかじーっと考えるとふとアイディアが出たり、もう一度学習しようとしたり、別の段階へ自分が行ける可能性がある。これだけ周りの連中が居なくなるとやはりどうしても「今度は自分か?」というような思いはもたげてくるわけで、それに対してどう実績なり計画なりを出すか?更に自分はこれからどう労働者として生きていくか?というようなことを否応無く考えさせられるわけです。その中で出てくるものっていうのもあるんですなあ。
要は切羽詰った状況じゃないと何もしないという(してないわけじゃないがやはり更に必要で)悪癖といえばその通りだし、情け無い限りではあるんですけどね。出来ていない抜けがあったことはそりゃ仕方がないし、その事実をいくら言い訳しても良くなるわけでもない。前も書いた通り、「全ては自分」なわけで、そこに過去だ環境だ上司だ金だを言ったところでどうしようもない。仕事だけじゃなくて人生の色んな局面で、ですけどね。
まだ下のガキが成人する3年は最低働かなきゃならんわけで、更に人様に迷惑をかけないためにはあと15年は働く必要があるんですが、やはり何かを切っ掛けに小さくてもいいから変わる、というのは必要だと思います。よく言われますが、生物でも生き残るのは強いものではなく、変われるものである、というのは人としてもそうだと思います、思いたいw。それは会社にしがみつくため、というよりも、自分が自分の価値をこれから最大にするためにこの状況をどう利用するか、ということなんですな。
で、更に言うと、こういうときは私としてはとにかく
事を進めたいと思っています。難しいことが考えられない、というのもあるんですけど(汗)、とにかく簡単に、単純に考えて、単純に行動する。理解も行動も一番基礎のところで考える。それで何かあればそこで修正すれば良いわけで、とにかくこれまた前に書いた
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コメント
うーん!!
投稿: ysjournal | 2013年2月26日 (火) 11時55分
ysさん、とにかく色々ありますが生き抜かないと、ですねえ。
投稿: ドイツ特派員 | 2013年2月28日 (木) 22時11分