またまた中国人に囲まれてグローバルって何なんだ?
ただ今、雪が降ってPM2.5も飛んでいないと思われる上海におります。今年は初めての中国ですな。
日中関係は未だ悪く、一部入札には日系含む外国系企業の締め出しが起こっているようです。これはまあ体の良い見せしめみたいなもんで、本当の基幹部品で日本製のものが必要な部分にはそういう締め出しは行なっておらず、さすがに日本だけというわけには行かないので、外資という括りで締め出しています。これを機に、影響の少ないところから中国製へのシフトを図りたいということでしょう。
しかしながら今回も社内会議で来ているのですが、アジアのリーダーグループの会議に引っ掛けているんです。が、そのリーダー全部中国人及び台湾人とシンガポール人という中国語圏の人たち。で、それも含めて今回24人いるんですが、中国語以外の人間はたった二人。
いやあ、居にくいもんですよ。
以前ちょっと紹介した「グローバルエリートの時代」という本に、近未来のグローバル企業の姿というのが書かれていて、「一人でも違う母語を持った人がいて、その人が他のメンバーの言葉を解さない場合、みんながすっと英語に会話を移行する」という解説があります(ちなみにこの本への批判で、指揮者の小沢氏や建築家の安藤氏の話を出して、「だから英語じゃない」って話がありますが、小沢氏や安藤氏になるほうが英語習得するよりずっと難しいですってw)。
でも中国人はお構いなしw。
いや、打ち合わせでもやっぱり英語では説明しきれないんですよ、そうすると自然と中国語になって、そこはそのまま特に英語での説明もなく通り過ぎてしまう。韓国人一人と日本人の私は「へ?」という感じでまあいいか、という具合に会議が進みます。
同じような話はソニーの昔のアメリカ進出時にもあって、ソニーの盛田氏は、日本人同士で一人でもアメリカ人がいたら、ということについて「絶対に英語で話せ。彼らがわからない言葉で話していたら疑心暗鬼だろう」と日本人従業員に厳命していたそうですが、これは良くわかります。一番厳しいのは会食の時で、例えば英語で私と少し話した後、中国語で現地のスタッフ同士が話すと、
俺の悪口か?
と思うところはあります。自意識過剰というのは置いておいても、そのくらい数の論理は圧倒的なんですよ。さっきまで会食してたんですが、こっちは中国人の会話を邪魔しないようにニコニコして黙々とメシを食う、という。一応自己弁護しておくと、英語中心の打ち合わせの時は、とにもかくにも何かは意見を言うようにしているし、自分のプレゼンではとりあえず23人の笑いは二回くらいは取れる(笑)。それでもやはり目に見える・見えないその壁というか居場所の無さは結構大きいですねえ。
上記の本での描写はあくまで理想形ですから、まだまだそこへの距離はあるわけですが、それにしても言葉の共通さというのは相当に大きい。正直異国で同じ言葉がわかる奴に会うと、普段なら余り親しくならないかもしれない相手でも仲良くなる気がする。
といいながら、
そういうポジションもそれはそれで面白いな、と思っているのも事実で、普通の日本企業で生活していると中々経験できないじゃないですか。あとこれも感覚でわかるんですが、おかしな社内政治に興味を持つことがないというか、持ちようがないんですよ、裏の会話が出来ないから。陰口叩かれていてもわからないし、疑心暗鬼はあってもそれ以上はどうしようもないし。別にみんなが無理して経験しなきゃならないことではないですけど、そういう境遇に入ったわけですから、ある意味楽しむくらいじゃないと持たないですよね。まあそこまで開き直れているわけでも無いんですが、割り切りとしてね。
ということで、初日に一人で食いに行った香港飲茶の店の野菜と鶏肉のお粥。これで大体600円ですが、もう日本の定食チェーンと変わらない値段だよなあ。
そして更ける上海の夜であります♪
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