誰でも失敗し、誰でも悩むわけでね
いや、私はその失敗は多すぎるんですが(苦笑)。
ちょっと昔から積み立てていた金があって、それを多少投資に回していたんですが、昨今の株高と円安で多少はプラスが出ましてね。で、まあ大金持ちにはなることはないんでしょうが、それでも少しは老後も考えなきゃ、ということで投資の本を遊び半分で買ったり、それに関するブログを読んだり。
でも、大体そういう人ってすげー大学出て留学なんかしてそりゃ忙しいだろうけどいい暮らしして、という感じがしません?いや、実際そういう人は多そうですよね。何か雑誌だと「Goethe」とかに出てきそうな「24時間仕事バカ!」みたいな人で。
でも、ちょっとだけ見方が変わったことがあってですね。
でも、大体そういう人ってすげー大学出て留学なんかしてそりゃ忙しいだろうけどいい暮らしして、という感じがしません?いや、実際そういう人は多そうですよね。何か雑誌だと「Goethe」とかに出てきそうな「24時間仕事バカ!」みたいな人で。
でも、ちょっとだけ見方が変わったことがあってですね。
内藤忍、という人がいます。新興の証券会社の関係会社で社長まで勤めた、私と同じ年の人です(どうも学年は一つ上みたいですが)。で、ブログ読んでたんですけど、やはり立派なことを書いている。若しかすると一般的には「なんだい、成金かい!」みたいな反応になる気もする(そういう感情が無いではない)。お前みたいに頭良くないんだよ!というのもあるにはある、自分のバカが悪いにしてもね(笑)。多分結構な人がその経歴とか見ると「けっ!」って思うと思います。
ただ、彼のブログを辿っていくと、あるときに内容が全然違うことを書いているんです。それはまあ自分の個人生活での問題と家族のあり方、みたいなことで(晒すのが目的ではないのでリンクは貼りません)。要は自分の失敗を晒しちゃってるわけです。このことって別に表立ったことでもないでしょうし、芸能人がブログで反省する後出しみたいなことじゃなかったんじゃないかな、と思います。
多分、自分で失敗に責任を持ちたかった、偉そうな事を書いている自分に堪えられなかったんじゃないかな、と思うんですよ。何となくですけど、マーケット的に耳目を集める目的で書いたわけではないと思う。それで何か許してもらおう、というのでもないと思ったんですよ。正直別に書く必要もないし、書かなきゃそれで終わっていたことじゃないかな?そりゃ業界的には色々噂があったのかもしれないけど、そんなのは分からないことですから。
ちょっと思ったのは、「自分と違う人の悩みを矮小化しちゃいけない」っていうこと。このことは先日ある友人も話していたんですけど、要は金があろうと頭が良かろうと、悩みというのはある一定線を越えると誰でも同じ位の重圧になるんじゃないか、ということ。いや、芸能人みたいな「離婚するために結婚する」とかはちょっと違う気もしますけど。多分、この人が持っていた悩みの重さって、そんなに我々とは変わらなかったんじゃないか、という気がする。だから許せる、とかじゃないし、それによって迷惑を被った人がいたとすると「冗談じゃない、そんな行動何の関係もあるか!」ということだろうけど、それでも言わずに居られなかった、という苦しさがあったんじゃないか、と勝手に推察しています。
あと、こういう行動を取る人を一度は信用してみたい、というかね。「信用できる」とはちょっと違うんですけど、その失敗の回復だとか、自分の生活の再生だとか、そういうところはある意味ちゃんと見てあげたいという気持ちになっちゃうんですよね。それを「おめえ甘いなあ」と言われればその通りだろうし、もしかしたら全然違うことかもしれないけど、それでも、カッコいいことを言って、失敗さえマーケティング的に使う人とは線を引いてみたい。何か仕事とは別に、「いやあ、貴方も大変だよねえ」なんて話はしてみても良いのかな?というね(苦笑)。
というのも私自身、とてもじゃないけど人様に言えないような相当なデカイ失敗を数回人生でやってきてるというのがあって、とても他人事じゃないな、という思いがあるんですよ。「砂を噛むようなこと」って言うじゃないですか、あれって本当で、食事してても味がしないんですよ。それはここでちょこちょこ書いている仕事の失敗とかとはもうレベルが違う話。
多分、自分で失敗に責任を持ちたかった、偉そうな事を書いている自分に堪えられなかったんじゃないかな、と思うんですよ。何となくですけど、マーケット的に耳目を集める目的で書いたわけではないと思う。それで何か許してもらおう、というのでもないと思ったんですよ。正直別に書く必要もないし、書かなきゃそれで終わっていたことじゃないかな?そりゃ業界的には色々噂があったのかもしれないけど、そんなのは分からないことですから。
ちょっと思ったのは、「自分と違う人の悩みを矮小化しちゃいけない」っていうこと。このことは先日ある友人も話していたんですけど、要は金があろうと頭が良かろうと、悩みというのはある一定線を越えると誰でも同じ位の重圧になるんじゃないか、ということ。いや、芸能人みたいな「離婚するために結婚する」とかはちょっと違う気もしますけど。多分、この人が持っていた悩みの重さって、そんなに我々とは変わらなかったんじゃないか、という気がする。だから許せる、とかじゃないし、それによって迷惑を被った人がいたとすると「冗談じゃない、そんな行動何の関係もあるか!」ということだろうけど、それでも言わずに居られなかった、という苦しさがあったんじゃないか、と勝手に推察しています。
あと、こういう行動を取る人を一度は信用してみたい、というかね。「信用できる」とはちょっと違うんですけど、その失敗の回復だとか、自分の生活の再生だとか、そういうところはある意味ちゃんと見てあげたいという気持ちになっちゃうんですよね。それを「おめえ甘いなあ」と言われればその通りだろうし、もしかしたら全然違うことかもしれないけど、それでも、カッコいいことを言って、失敗さえマーケティング的に使う人とは線を引いてみたい。何か仕事とは別に、「いやあ、貴方も大変だよねえ」なんて話はしてみても良いのかな?というね(苦笑)。
というのも私自身、とてもじゃないけど人様に言えないような相当なデカイ失敗を数回人生でやってきてるというのがあって、とても他人事じゃないな、という思いがあるんですよ。「砂を噛むようなこと」って言うじゃないですか、あれって本当で、食事してても味がしないんですよ。それはここでちょこちょこ書いている仕事の失敗とかとはもうレベルが違う話。
哀しいかな人間は結構な割合いで間違いを起こします。私自身はまだ生活を普通にできていますが、それで身を持ち崩した人も知っています。そこでどう向き合うのか、そこにその人の価値が詰まっているんじゃないかと最近痛感します。そりゃ間違いはないに越したことは無いんですけどね。
何が言いたいわけじゃないんですけど、何となく備忘録的に書きたくなりました。
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