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2013年4月16日 (火)

正しく恐れたい

東北大地震から既に2年が経過していますが、、まだご遺体の見つからない方がかなりいらっしゃるという話が出ていて、何とも痛ましい話だと思います。それほどに大きな被害であったということで、当事者ではない私などは何も言うことができないと痛感します。

で、それに絡んでですが、テレビで大地震・大津波・大噴火という災害シミュレーションをやっていまして、うーん、と考え込んでしまいました。

ざーっと斜めに見ていただけなんですが、例えば南海トラフで連鎖地震が起きてそれに富士山噴火まで重なったらこのくらいの犠牲者と経済損失が出る、という計算を行なっています。また、津波の想定をどの程度まで見積もるか、などがあり、最後に「明日起きるかも知れません、準備が必要です」と締めくくっていました。

これでどんな準備をしろというんでしょうか?
何だろうな、こういうのって実は何も言っていないんじゃないか、という気がするんです。「こうなってこうなってこうなったらこうなるよ」というのはその通り。問題はその確率論であり、また、「今の生活を維持しながら対策には金に糸目をつけない」という風に見える。
何もしない、というのではなくて、例えば、学校を少し高台に移すとか、病院に独立した電源を準備するとか、少なくとも護岸工事でとてつもない防波堤を作るよりは出来そうなことをやってないでしょ?少なくとも比較くらいは出来るはずで、それすら聞えてこない。富士山噴火で火山灰が降ってくるという話もありましたが、じゃあどうしろというのか?「準備」って、完璧なのはシェルターでも作るのか?
今回の地震について言えば、「この対策が取れていればこれだけの命が助かり、それにはこれだけの費用が必要だった」という冷静な検証だと思うんです。私はこの検証が命とお金を天秤に掛けているとは思えない。やはりどこかで費用という問題は発生するわけで、出来るだけ少ない負担で多くの安全を手に入れる、という検証は絶対にするべきだと思うんです。
もうちょっと言うと、「これも危ない、あれも危ない、だからこれもあれも」という費用の増額は、そのまま公共工事の水増しに繋がります。予測は確かに難しい、それでも、正しい見積もりを行なう努力は怠ってはいけないとずっと考えています。
あること無いこと全部ぶち込んで「危ない」というのは、ちょっと違うんじゃないかな?と疑問なんですね。それなら寧ろ今回の原発事故の連想で、日本の食糧が相当程度食べられなくなる、という想定をしなきゃならない。いや、これは荒唐無稽でも何でもなくて、例えば米が伝染病で全滅したらどうするのか?ということですよ。TPPやってそっちで食料防衛、ということも出るかもしれない。
こういう「危険」という言い方は、寧ろ思考停止になると思うんです。確かに関東大震災でも東京大空襲でも今回の地震でも、首都機能の移動ということすら殆ど議論されない。24時間地下鉄を動かさなきゃならないほどの都市集中の方がずっと問題であって、皆分かっているのに、偉そうなだけの新旧都知事がふんぞり返ってるだけなんですよね。

何か相変わらず書き殴りましたが、「正しくありたい」というのを続けなきゃいかんよなあ、と思ったわけです。

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コメント

安全は大好きだ。神話も好きだ。安全神話作りは得意で、すぐに信じられる。広めるのもたやすい。
我が国の国策は、安全神話と深く関係しているに違いない。
だが、最悪のシナリオを想定するのはひどく難しい。恣意の人ならそうなる。
これは、平和ボケのようなものか。

太平洋戦争初期に、フィリピンの米比軍はキング少将もジョーンズ少将も投降して、75000人以上の将兵の命を救った。
太平洋戦争後期に、日本軍は米空軍の飛来をゆるし、1945年3月10日未明、東京の下町の江東地区がB29約300機による空襲をうけ、死者10万をこす被害を出した。
日本人の指導者には、作戦の成否を予測する力はないのか。
人命の尊重はどのように考えられていたのであろうか。

それでも日本人は、原発の再稼働を選んだ。
一億総ざんげへの道。動き出したら止まらない。
この道は、いつか来た道。ああ、そうだよ、民族の歴史は繰り返す。

意思のあるところに方法はある。(Where there’s a will, there’s a way).
意思のないところに解決法はない。
意思は未来時制の内容であり、日本語には時制がない。
それで、日本人には意思がなく、解決法が見つけられない。
自然鎮火を待つのみか。

耐え難きを耐え、忍び難きを忍んで、もって万世のために太平を開かんと欲す。
不自由を常と思えば不足なし。
座して死を待つか、それとも腹切りするか。
私の父は、玉砕した。何のお役に立てたのかしら。
安らかに眠ってください。過ちは繰り返しますから、、、、

わかっている、わかっている。皆、わかっている。
ああしてこうすりゃこうなると、わかっていながらこうなった、、、、、
十二歳のメンタリィティには、知恵の深さが見られない。教養がない。
わかっちゃいるけど やめられない。ア、ホレ、スイスイ、、、、

白く塗られた黒いオオカミの足を見破ることは難しい。
だます人は悪い人。だまされる人は善良な人。おとり捜査は難しい。
この調子では、人の命はいくつあっても足りるものではない。
我々は、自らは望むことなく危機に陥る民族なのか。

http://www11.ocn.ne.jp/~noga1213/
http://3379tera.blog.ocn.ne.jp/blog/

投稿: noga | 2013年4月19日 (金) 20時38分

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