だらだらと考えてみた
最近は、「ミッドエイジライフクライシス(間違えてたw)」って言うんですか、終わるには早い、続けるには遅い、という微妙なお年頃になって色々とこじらせてしまい(苦笑)、色々と悩むわけですが、ぼーっとこんな本を読んでいました。
この本は、外資系コンサルという、言ってしまえば「世の中で一番頭が良い連中」の集まる世界から見たプロ論ということで、これに対応しているのは「アマチュア」ではなく「ビジネス」なんですね。まあ、この本を読まずとも分かるといえば分かる残念な結論なのですが、「元々持ってない奴が頑張っても追いつかない世界」というのはあるのだな、ということを(分かっていたものの)再確認しました。要はコンサルタントの世界から「プロとは」というのを書いていて、その内容自体は色々突っ込める訳ですが、結局「頭がいい、体力がある、好奇心がある、行動的である、欲を持たない、努力を継続できる、その上で結果が出せる」奴じゃないとプロになれない、という。じゃあ私はとてもじゃないが無理だよね、というのがあっさりした結論になりますな。大体できる人は何でも全方位に出来る、という人が多いからこれはどうしようもない。少なくとも頭は悪くて欲を欠いててサボりが好きで結果が出ない私には無理無理(号泣)。
大体中学生くらいからでしょうか、「結局才能が物事を左右するんだよな」っていう風に考え始めたのは。大学受験にしても相当時間だけは勉強しましたが、そんなに成果は出なかったという悲しさ。楽器も色々やってもアマチュアでもそんなに上手くはないレベルから抜け出せず。いや、これが妬みや僻みだというのは分かっているんですよ。ただ、どうにもこうにも元の頭の良い奴の切れ方というのは、「申し訳ございません、私が悪うございました」という敗北感を強くするわけで。更にそういう環境にいる人というのは、周りにも同様の人たちが集まる、という相乗効果があるんですね。よく新聞にある交遊録なんか読めば分かりますよね、「俺さあ、会社の社長だけど、そこのコンビニの店長と仲良くてさあ、よく唐揚げ買いながら話するんだよね」なんて話は出てこない。同じように良い大学出て留学したりしてまあ関係のないくらい高い世界でぐるぐる回るというか。
ただ、ね。
何てグダグダとこじらせている時に、とある方々複数が書いていたのが少しばかり参考になって、これならできるかも、と思えました。その方は、ある程度の生活の糧を得るためにやることとしては、
「できることをする」
「誰でもできることを誰も出来ないくらいする」
「とにかくやり始めて見る」
ということを言われてて。「やりたいこと」ではなく「できること」、その「できること」を継続すること、知識や方法は並行してやればいいからとにかく「やってみる」ということ。自分なりに少し加えれば、「できること」の中に「狭い範囲で構わないから」というのがあります。どんな分野でも良いと思うんですが、自分が好き立ったりしたことを深く掘っていって継続する、それを間違ってても良いからとにかく発信する。そうすればそれより出来る奴、知っている奴が必ず集まってくる。いや、それで何か金が入るかどうかはどうでも良くて、そのプロセス自体で得るものがあるのではないか、と思うんですよ。
これは自分を勇気付ける感じにもなるんですが、誰でも数十年続けていることがあるんじゃないかと思うんですよ。それこそ毎日の食事は食べるわけで、例えばそれを数十年続けてカロリーを記録したら立派な日常生活の記録になるんじゃないか、というようなことですね。食事は誰でもできる、記録も単発ならだれでもできる、でもそれを数十年続ける人はそうはいない(そんな暇はない、という突っ込みは横におくw)。
仕事でもそういう単調だけど継続が必要な仕事ってありますよね。私はそういう地道に仕事をしている人は尊敬します。自分が転職しているから偉そうなことは言えないですが、一つの会社、一つの職場で数十年同じ仕事を続けるというのがどれほど凄いことか。それはちゃんと評価・賞賛されるべきことだと強く思う。華やかに職を転々とするのも凄い技術でしょうが、それだけで世の中は回らない。
初老ですから継続ったってもう残った時間は少ないわけですが、少なくとも今まで切らさず仕事をしてきたことはまあ責任を果たしているといっていいんじゃないか、と自分を慰めながらこのブログも詰まらんことを書きながら8年以上継続してるじゃないか!と自分で少しビックリする日曜の雨降りであります。
さて、今日も今日とて生きて行きましょう(何だこの締め?)。
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