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2013年11月20日 (水)

動くのがえらいわけじゃない

中国です、どうしたって中国です、避けて通れない中国です(苦笑)。

今回成田空港でふと思ったのは、20年前にこれほどビジネスでアジア便に並んでいたのだろうか?ということ。アジア出張は増えてきていましたが、これほどの便数は無かったでしょうし、それでもなお並ぶ、という光景を見るに、20年くらいの短い間で物凄く物事は動いているんだな、という当たり前のことを感じます。

アジアって今はとにかくスピードが速いから、何事も即断即決だったり、動くことについていくようなところが多いですよね。こうなると「動かない日本人」「変化しない日本」というのが対比として言われ勝ちになります。労働流動性などは最たるもので。

でも、本当にそれは正しいのかな?って思うんですよ。いや、制度ではなく個人のあり方についてですけどね。

雑誌やらブログやらで優秀な人たちが

「やらない後悔ならやる後悔をしたほうがいい」

とか

とにかく事が起これば変化する方に動け、その方がいい」

とか言うじゃないですか。何だか動かない連中は悪者みたいな扱い。いや、そういうことは多いでしょう、でも、それが全て善のようにいうのは違うんじゃないかな?って思う。

転職でも結婚でも買い物でも何でも良いんですが、現状から変化した、ということを賞賛の対象にするのはちょっと違うんじゃないかな?問題は自分で納得して選択をした、ということであって、「変化した」「動いた」ということが偉いわけじゃない。もしかしたら現状維持するほうがよほど大変な選択、ということだっていくらでもあるわけですよ。

あとね、そういう風に「やらない後悔よりやる後悔」って言ってる人は要は上手く行った人なんですよ。あくまでその人の成功談でしかない。じゃあ動いた人が皆成功してるんなら、ベンチャー企業なんて皆やったもん勝ちでしょ?やった人を悪く言う意図はさらさら無いんですが、そうしなかった、出来なかった人を悪し様にいうのもそれは違う。

以前も書きましたが、私は転職を中年以降にやった人間ですが、だからといってそういうことをしない人間が「駄目な奴」とか全く思わない。自分自身今でもそうやって動いたことがよかったのかどうか、全く総括は出来ていない。もしかすると失職するかもしれない、もしかすると当時より良い給料がもらえるかもしれない、そんなことは全く分からないし、実際びくびくしてるし。それに以前の仕事をやはり投げ出したんじゃないか、もし何か悪いことが起こればやはりそのことの天罰でしょうがないんじゃないか、って思うことは多い。

動いた、って言ったって実際には流されていることもあるし、つまらない判断をすることもある。何も考えずに動かない人が居るのと同じ。大体ね、「やらない後悔」なんて言っている人は別に何の責任も無く言っているわけで、理論があるわけでもない。自身の転職だって本当によく考えたのか?納得していたのか?って言われればんなことは分からない。それこそ当時は「やった後悔よりやらない後悔が」っていうことで動きましたけど、だからといってそうしない人にも事情があるわけですよ。

だから、表面の動きではなくて、自分自身が何を決めたのか、そこに焦点を当てるべきで、「何事も経験」なんて能天気に言えることではないんですよ。ましてや善悪に分かれることでも批判の対象でもない。

変化を好まない中高年(含む私自身)の評判は物凄く悪いし、それ自身は納得できることも多い。でも、皆それぞれ守るものがあって、そのために何とか最善を尽くそうとしている、変化したくてもできないものもあるわけで、そのことは批判する前に少し考えてもらえたら嬉しいな、って思う。

今あることをやれる範囲で一生懸命やることだって、立派なことだと思うんだよなあ。

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