習う、ということ
(ダラダラと書いてます)
連休ど真ん中で、結構飛び石連休の人も多いかと思いますが、皆様いかがお過ごしでしょうか?私は以前の宣言通りに結局11連休になるも、途中で電話会議だの仕事だのが入って、何か家でグダグダと作業しています。
とはいえ、纏まって色々とできることもあり、音楽関係の作業、オリジナルの作曲だったりクラシックギターの練習だったり山のようなCDの整理だったりをごちゃごちゃやっています。で、最近は何か自分の心のエネルギーが低くなっている事もあり、こういう休みというのは要らんことを考える絶好の機会でもあります(汗)。
音楽関係一つ取っても、自分の出来なさ、知識の無さ、幅の狭さというのを痛感することが最近本当に多いんですよ。
それと並行して、色んな知り合いの行動っていうのがSNSで分かるようになっていますが、能力の高い人って、何かをやろうとするときに、それを「習いに行く」所から始める人が多いんじゃないかな?と感じています。料理でも楽器でも資格でも良いんですけど、正直自分からは能力的にとても敵わないような人ほど、基礎から習いに行く気がする。
これって想像ですけど、
- 色んな経験から基礎が大事だと知っている
- 結局人の蓄積を金で買うのが習得する最短だと理解している
ってことかな?と思うんですよ。但し、金が掛かる、という問題があって、ここがどの程度突破できるか、が平民の最大の問題。そういう人たちって当たり前ですけど凄く金がある。
能力の高い人がやることなすこと上手く行っている(ように見える)のは、この「基礎を徹底的に習って身に付ける」という事に一番金と時間を掛けているからでしょう。金、ということについては、習う人の過去の経験を買う、と言うことですね。時間、というのは応用に行く最も効率のよい時間配分がそこにある、と言うことかな。あと、体力があるんですよね。波頭亮だったかな、例えば世界ですげー頭がいい連中が集まるコンサルっていうのは、遊ぶのにも凄く集中してて、徹夜明けでも平気でスポーツしたりするらしい。習いに行く、というのもその辺で時間に制約が生まれるわけで、それを逆手にとって強制的にやる事を課しているというか。
自分がやっている音楽というか楽器なんて、その基礎の無さというのが今になって忌々しいほど苦しめてくれてます(苦笑)。コード・リズムの理解という知識とそれを身体化する技術、どちらも嫌と言うほどない。まあ我が心のロックギター師匠である故Gary Mooreは、そうやって習ったギターを弾く連中を心底軽蔑していたみたいで、しかも彼自身がアレだけのミュージシャンだった訳ですが、それは寧ろ能力が学校的な学習を必要としないくらい突出していたと考えるべきなんだろうな。
もう私も半世紀ほど生きてきて、残りもそんなに長くないから、やりたいことも絞る必要があるし、金も充分無いからせいぜい今やっているクラシックギターのレッスン以上に金を掛けられないし、ロックギターに至っては今からリセットするのは時間的に難しい、バンドとして他のメンバーとの絡みもあるし。
若い人がこのブログ読んでいるとは思わないんだけど、もし読んでたら「基礎を身に付けるための習い」というのは何か始める時に選択肢として考えてみても良いかな、と。
我々初老?さっさとやりたいことやりましょうやw
| 固定リンク
この記事へのコメントは終了しました。
コメント
ちょっと真面目過ぎやしませんか?
投稿: ysjournal | 2014年4月30日 (水) 10時46分
YSさん、
ちょっと真面目になりましたが、まあ睡眠時の寝返りみたいなもんで、直ぐ忘れてしまいます(笑)。一番は「さっさとやりたいことやろう」の所ですね。
投稿: ドイツ特派員 | 2014年5月 1日 (木) 08時40分
日本のテレビCMでアホやるハリウッドスター 嫌いは指原じゃなくて、自体を叩く
投稿: 行く | 2014年5月22日 (木) 03時29分